147国会 議院運営委員会会議録 2000年05月29日
○山下栄一君 公明党・改革クラブの山下でございます。
今、最後の方で内藤さんから、法案の行方がもう既に決まってしまっているような御発言がございましたけれども、これは理事会でまだ検討もされていない。大変重要な課題であるという認識は共通であるわけでございまして、勝手にそういう判断をされるのは非常に不本意であると思いますので、参考人の方も誤解されないようにお願いしたいというふうに思っています、まだどう扱っていくかということは決まっておりませんので。
先ほど新藤参考人のお話、私も同感のところがあったわけでございますけれども、日本の政治風土の不幸は、政治家がビジョンを語っているところと日常行動、日常の振る舞い、乖離が激し過ぎるというお話がございました。
私もこちらに来させていただいて八年近くなりますけれども、要するにパフォーマンスといいますか、が非常に鍛えられていくというか、そういうパフォーマンスにたければたけるほど中身がなくなってくるということはあってはならないというふうに感じておるわけです。
これは単に政治の問題だけではなくて、先ほど責任倫理というお言葉もございましたが、言っていることとやっていることが違うということは非常にこの世の中を不安定にしていくと。さまざまな青少年問題、今大変大きな問題になっておりますけれども、大人が言っていることとやっていることが違う、ルールをつくりながらルールをみずから破るという、そういうことが倫理、道徳にとって最も不幸なことであるというふうに感じております。
特に、地位のある責任のある立場、総理大臣もそうでしょうし国会議員もそうである、大学の教授もそうであるし弁護士もそうである、医者もそうだ。その影響力は激し過ぎると。これが一番今の世の中で問題になっていることであろうというふうに、今自分自身感じておるわけです。
これは、子供に対する大人のあり方、道徳教育というのは口で言っているだけでは、注入をしていくというか教化していくというか、そういう時代ではないと。言っていることとやっていることができるだけ一致するように貫くこと、特に地位のある人間はそれを求められるということ、これが今一番大きな課題であるというふうに感じております。
それで、話がそれてしまいますけれども、特に司法制度改革も、裁判官は一般市民と接すると公平な感覚が薄れていくという、そういうことも今まで言われてきた、それが問題なんだと。だれのための裁判官なのか、市民のための裁判官ではないのかということが司法制度改革で一番問題になってきておるわけです。
政治家の場合も、先ほどもお話が何遍も出ていますが、政治活動のあり方、ビジョンを語り、政策を語る。その政策はどこから来ているんだ。現場に根づかないそんな政策は国民から遊離する。そのためには、現場第一主義だ、市民との対話を欠かせてはならないと。陳情という言葉もありましたし口ききという言葉もありましたけれども、さまざまな形の問題、訴え、これをじかに聞いていくこと、そのことが政治家に物すごく求められる時代であるというふうに思うわけです。
市民生活、生活者と政治家は遊離してはならないと。これは、だから非常に大きな課題であるわけですけれども、その接する中でさまざまな問題も出てくると。これはまさに、政治家そのものの倫理観にかかわってくるというふうに思うわけですけれども、この法律によって、今提案された法律によって政治活動が制限されてはならないという話もございました。現場へのかかわりをちゅうちょさせるようなそんな法律であってはならないと自身も思っておるわけですけれども、こういう問題についての新藤参考人、またお二人の参考人のお考えをお聞きしたいというように思います。
○参考人(新藤宗幸君) 政治家が、これは国政のみならず自治体の政治でも同じでありますが、政治にかかわる人々がさまざまな有権者、いろんな市民、住民の方々と遊離してならないのは当然な話だと思います。
ですから、先ほども申し上げましたけれども、それぞれの人間が生活者として、あるいは経済人として等々、職業人として持っている悩みであるとかあるいは悲しみであるとかあるいは問題状況であるとかということを、皆様方がまさにフェース・ツー・フェースできちんとおつかみになることは当然の話だと思います。
そのことをやることと、この法律ができると仮にしたときにそういう接触がしがたくなる、あるいはそれをちゅうちょしてしまうというふうなことが出るのではないかというふうにお考えになることが私には理解の範囲を超える話でございます。
つまり、いろいろな方々と接触をする、そしてそれぞれのお考えを聞き取る。今の政治のどこを修正すればそうしたものが直っていくのか、そのような観点から接触するはずでありまして、それならば、これがあろうがなかろうが、そういう活動が停滞する、消極的になるはずがない。
むしろ、そうではなくて、何かの御要望を聞いて、それが公的に実現する話なのかあるいはプライベート間で実現できる話なのか、ともかくいわゆる世話やきでもって票を伸ばそうと考えれば、この手のものができればちゅうちょされ消極的になるということになるかもしれませんが、それは本来、そちらがそうなるからこの法案に消極的だというのは本末転倒なお話であろうと、私はそのように思います。
○参考人(濱田弘幸君) この法律では、目的はかかっておりますけれども、現在のあっせん収賄のような請託を受けてという要件が全くないわけでございます。
したがいまして、一定の業界とか団体とかそういうものに対して大きな政策を打とうという場合、どこかでその団体なんかに利益が入ってくる、これが不当かどうかというのは非常にまた問題をはらんでおりますけれども。したがって、そういう個々の陳情ではなくて、大きい政策を実現させるようなそういう行為に至るまで、後からまた政治資金があった、実は後援会に入ったと、こうなってきたときに、この法律の網はかぶってこないかなという心配はしております。
そういう意味では、やはりもう少しこれはよく整備しないと、このままこれを成立させるようなことがあっては、結果的にはやはり政治家の皆さんの活動に何らかのためらいを生じさせるような事態というものが往々にして出てくると思います。
それから、法律というのはでき上がりますとひとり歩きいたします。当初の立法の趣旨はどうあれ、時代が変わってきますと、どんどん文言に従って解釈されていきます。そこをよくお考えいただかないといけないんだろうと考えております。
以上でございます。
○参考人(土本武司君) この問題は、確かに究極において倫理の問題であります。
ただ、その倫理の問題は、倫理の世界に任せていいものと倫理を超えて法の世界に取り込んで法的制裁を加えなきゃいけないものと両方あるわけで、これまでの日本の政治の実態からするならば、これは法の世界に取り込むべき性質のものではないかということであります。
そこで、口をきいてやる、あっせんをしてやるという行為、それはもちろん適法でありまして、それをこの法律はとがめようとしているわけではないと思われます。その点があるいは新藤先生とちょっと見解が違うかもしれませんが、口をきくこと自体は違法だと言っているわけじゃない、ただ、それに対して報酬を受けるということに違法性があるんだというのがこの法案のねらいではないかと思われます。
政治というのは全体のために行われるべきものであります。それが、あっせんをしてやった特定の人のために行うという色彩が報酬を得ることによってどうしても出てまいりますので、それを規制しようというものではないかと思われます。
○山下栄一君 もう一つ聞きますが、いいですか。
○委員長(西田吉宏君) もう一分ほどあります、簡潔に。
○山下栄一君 土本参考人にお聞きいたしますけれども、先ほどこの刑罰の対象となるのは国会議員だけだ、では広げたらどうか、地方議員、首長。秘書についての今回の交通違反もみ消し事件というのは、まさに事務所そのものといいますか、議員事務所そのものだったと思うんですね。だから、議員と秘書は一体であるということは、もうこれは一般市民がそう感じていると思うんですけれども、この点についてのお考えをお聞きしたいと思います。
○参考人(土本武司君) 確かに秘書、その中でも公設秘書はお国から給料をもらっているんでしょうか。そうだとすれば、今回の事件にあらわれましたように、これを本法の犯罪主体に入れないと抜けるおそれが出てまいります。
差し当たり私は、公職選挙法で選任される国会議員、地方議員それから地方の首長、ここまでは絶対に入れるべきではないかと思われますが、公設秘書につきましても、それに準じて検討を要することであろうかと思われます。