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国会質問

161国会 憲法調査会 2004年11月24日


○山下栄一君 公明党の山下でございます。意見を述べます。
 現行の憲法体制における基本的な規範内容を維持し、根本的な変質や破壊を防止する憲法上の仕組みは立憲国家にとって極めて重要です。この中核が憲法裁判制度であり、憲法上どのように位置付け、制度を運営していくかは憲法の在り方を考える上で最も重要な問題の一つと言えます。
 憲法裁判の仕組みとして各国の参考になっているのが、今もいろいろございましたけれども、アメリカの憲法裁判所である違憲審査制度とドイツの憲法裁判制度かと思います。アメリカとドイツの憲法裁判の制度のどちらが良いかは司法にとどまらず、統治システム全体にわたり、また各国の政治、歴史、文化とも密接にかかわる問題です。
 これまで発表されております各党、各界の憲法改正試案等を見ますと、ドイツ型の憲法裁判所の設立に積極的な立場が多く、それは我が国の違憲審査制度が余り活発でないことがその理由とされております。すなわち、憲法裁判所の設置が支持される背景には、現在の最高裁判所が、多くの上告事件を抱え多忙なため憲法判断の責務を十分に果たしていないように見える、また憲法判断に消極的で憲法規定を正面に押し出すことなく法律レベルで解決を図るケースが多い、さらに時間が非常に掛かり迅速な救済ができないなどが指摘されております。
 しかし、最高裁判所の違憲審査制度の実績が過小評価されている面もあるのではないか。最高裁判所に問い合わせたところ、昭和二十三年から平成十五年までに実質的憲法判断を行った件数は、民事事件で合憲が五百三十三件、違憲が四十九件、刑事事件で合憲が千六百七十二件、違憲が二百五十五件とのことで、決して少ない数ではありません。積極的に合憲と判決し、一定の憲法解釈を示したことに大きな意義がある例も多々あります。
 例えば、いわゆる成田新法事件平成四年判決と川崎民商事件昭和四十七年判決で、適正手続に関する憲法三十一条と令状主義に関する三十五条、黙秘権の保障に関する三十八条が刑事手続以外に行政手続にも及び得ることが認められ、憲法の間隙を埋める形で国民の人権保障に大きな役割を果たしております。また最近では、平成十二年に成立したいわゆるストーカー規制法について、ストーカーをする側の行為や表現の自由を規制する一面があることから合憲性が争われましたが、法の目的の正当性と規制手段の合理性、相当性が認められ合憲と判断されました。
 法律に憲法違反と主張をされる可能性がわずかでもある場合、最高裁がお墨付きを与えることで関係者にもたらされる利益は大なるものだと思います。さらに、実質的に十三条を根拠に新しい人権概念を認定することにより多くの権利救済に寄与してきた点は高く評価されるべきであり、最高裁の果たしてきた役割の大きさがうかがわれると思います。
 しかし、やはり最高裁判所が憲法判断を回避する傾向が見られることは事実であり、司法消極主義に傾く現在の最高裁の在り方を改善していくことが重要です。しかし、憲法裁判所のような新しい制度を導入することにより本当に期待どおりの成果を上げ得るのか、慎重な検討が必要と考えます。ただいま郡司委員の見解もございました。
 憲法裁判所を設置しようという場合、主として積極的な憲法判断の迅速な解決が期待されていると思います。しかし、法令違憲判決こそ、五種六件と少ないものの、最高裁には五十年以上違憲審査を行い二千五百件もの憲法判断の実績があり、多くの場合について合憲というお墨付きを与えています。しかも我が国では、内閣法制局により内閣の法案提出前に詳細な違憲性のチェックが行われ、違憲判断が下される可能性が非常に低いという状況もあります。憲法裁判所を作っても、違憲でないものを違憲とするはずがなく、合憲性を迅速に追認する意味しかないことになりかねません。
 さらに、憲法裁判所を作り、抽象的規範統制、予防的規範統制までも違憲審査対象にした場合、国会の立法機関としての機能が大幅に制約されることになり、立法府の上にスーパー立法府を置くことになりかねない危惧があります。ドイツの例でも、憲法裁判所の存在により政治の裁判化、裁判の政治化という現象があり、多数決原理で運営される議会の決定を一部少数者の意見、意思が過度にゆがめる結果をもたらしかねないことを懸念します。
 また、独立的審査制度を取るか、付随的審査制度を取るかにかかわらず、憲法裁判機関は人を得ないと機能しないとされる点は極めて重要だと思います。
 例えば、アメリカ連邦最高裁の判事は、人格、識見ともに優れた存在として大統領以上に国民的尊敬を集めていると言われます。大統領の指名後、上院の助言と承認を経て任命される過程はマスコミでもしばしば取り上げられ、国民的関心事項となっております。このような慎重かつ開かれた手続があってこそ、適任者が選ばれ、その判断結果が権威あるものとして尊重されるのだと考えます。
 これに比べると、残念ながら、我が国の最高裁判事の任命手続は若干見劣りがします。長官は内閣の指名に基づき天皇が任命、その他の裁判官は内閣が任命することとなっておりますが、最高裁当局の事実上の関与は別として、本当に適任者であるか、国会などの外部機関が検証する機会がありません。内定後の官房長官記者会見で公開される選考過程、選考基準も形式的なものにとどまっております。国家の基本法たる憲法の最終的な解釈権者をこのような手続で選出するのが妥当か、アメリカの例なども参考にしながら十分に検討すべきと思います。
 裁判所法では、まず識見の高い法律の素養のある者を最高裁裁判官に選任することを要求しておりますが、現在の選任においては、個々人の資質よりも十五人の判事の出身バランスが重視されているように見えるのも問題であり、例えば裁判官六人、弁護士四、検察官二、行政官一、外交官一、大学教授一という比率が長く踏襲されております。他国の憲法裁判所と比較すると、我が国最高裁が上告審機能を併有する点を考慮しても、裁判官を含め官僚ないし公務員が三分の二を占めること、学者枠がたったの一名と比率が著しく低く、しかも憲法学者が常に選任されるとは限らないことは問題であると考えます。
 最高裁発足当初には、内閣は諮問委員会の答申を受けて任命していましたが、第三者機関に諮問する、国会、特に参議院が関与する機会を設けるなど、何らかの改善策を講じるべきであります。特に、憲法学者が関与せずに憲法判断がなされる現状は、憲法の最終解釈機関の在り方としては遺憾であり、早急に改善する必要があります。
 さらに、一人の最高裁裁判官は所属する小法廷で二千件の事件に関与し、そのうち主任として判決を書く事件が四百件と言われ、多くは六十歳代である裁判官には相当な激務であります。裁判官のスタッフとして東京地裁判事等が最高裁判所調査官として事前の資料の下読み、論点整理や判決の方向性等の実質的サポートを行っているそうですが、この体制では、憲法裁判に関する裁判官個人の判断に司法官僚の論理が大きな影響を及ぼしかねません。スタッフの充実は不可欠ですが、民間研究機関や憲法学者を始めとする法律学者など裁判所以外の人材を求めることを積極的に検討すべきではないでしょうか。
 最高裁の組織的見直しに踏み込んだ改善策としては、最高裁判所の中に憲法訴訟を専門的に扱う部門、例えば憲法部を設けたり、最高裁判所の機能を憲法裁判に特化させ、上告審としての機能は、現在の高等裁判所と最高裁判所の間に設ける特別の高等裁判所に担わせるなどの案が見られます。
 最高裁が上告審機能を有することを考えると、現在の法曹実務家を重視する任用やスタッフ体制の在り方を抜本的に変更することは困難でしょうが、憲法専門の部署なり機関に特化して、所属判事を憲法学者出身者としたり、外部登用を含めた専門的スタッフの充実を図るのであれば、実現可能性は高いと思われます。
 次に、内閣法制局及びその憲法解釈について一言申し添えます。
 最高裁判所が憲法の公権解釈の最後の担い手であることは憲法上も明らかですが、憲法判断を控える事項もある結果、内閣法制局による憲法解釈の比重が大きくなり、憲法解釈の唯一の公的機関のような印象を与えております。
 内閣法制局には内閣の憲法解釈の統一性、整合性を図る機関としての役割があります。法制局の解釈が意に沿わないという理由で憲法裁判所を作ることには疑問があります。仮に憲法裁判所を導入しても、事前審査機能、諮問的権能まで付与するかどうかは別問題だとし、唯一絶対の権威になるのがよいのかも疑問に感じます。
 内閣法制局は内閣の機関です。それとは別に、立法府の立場として国会内に何らかの機関を持ち、議会としての立場で自ら憲法解釈を行うこと、イタリアがその一つの例ですけれども、そういうことを考えてもよいのではないでしょうか。
 そして、内閣は内閣として、国会は国会としての憲法解釈を提示し、最終的には最高裁が憲法解釈を確定する、そのような姿が三権分立制の下にふさわしく、同時に、多数決民主主義から離れて司法が果たすべき役割であり、国会としてもこれを受け入れるべきと考えます。
 最後に、司法制度改革について所感を述べます。
 現在の日本は、過去の事前規制調整型社会から事後監視救済型社会へと転換しつつあり、司法の役割は重要度を増しております。しかし、基本的人権と法の支配が具体化する我が国の司法制度については、一、法曹人口が極端に少ない、二、行政訴訟の間口が狭い、三、司法の消極主義、四、司法に対する社会的期待の高まりなどの観点から改革が求められてまいりました。
 こうした求めに応じて現在進められている司法制度の改革は、この国の形にかかわる諸改革の最後のかなめとして位置付けられるものであり、国会において立法を図る段階まで進んでおります。これらの司法制度改革の中でも特に重要であると考えるのは、裁判員制度を中核とする司法への国民参加です。
 これまで裁判は職業裁判官によって担われてきましたが、第百五十九国会で成立しました裁判員の参加する刑事裁判に関する法律は、重要犯罪に関する刑事裁判に国民が裁判員として裁判官と共同決定することを定めました。これにより、一部で社会通念に反するところがあると言われてきた裁判に国民の常識感覚が反映されることが期待されております。また、裁判員制度の導入により必然的に訴訟の迅速化が進み、国民の裁判を受ける権利にとってもプラスの効果をもたらすものと考えられます。
 しかし、この裁判員制が実効的に機能するためには、国民、裁判所双方の努力が必要であることは言うまでもありません。本年五月に行われた読売新聞の世論調査では、裁判員制について、仕組みをよく知っている、仕組みをある程度知っていると回答した割合は三割強、三三・八%にすぎませんでした。裁判員制が実際に施行されるのは平成二十一年四月からとされており、この五年間に国会として国民に対してこの制度の周知を十分に図る必要があると考えます。
 さらに、裁判所を国民に対して開かれたものとする努力も必要です。多くの国民には、裁判所を自分とは縁の遠い存在と考えているのではないでしょうか。裁判所が国民にとって身近に感じられ、また国民の知る権利にもこたえるべく、裁判所の積極的な広報活動や相談窓口業務の充実が求められます。
 また、法廷見学制度を国民に積極的に活用してもらうことで、裁判所に対する国民の理解も進むと思われます。そうなれば、形骸化していると言われる最高裁裁判官の国民審査も新たに積極的意義が与えられることになると思います。
 司法制度改革についてはなお様々な議論はあるものの、これらの改革の実現は、憲法裁判の充実に寄与するだけではなく、憲法が司法権に期待する法の支配と人権の確立に大いに貢献するものと考えます。
 以上で意見表明を終わります。

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