162国会 文教科学委員会会議録 2005年03月22日
○山下栄一君 御苦労さまでございます。五十分弱質問をさしていただきたいと思います。
今回の法案、法律が幾つかあるわけですけれども、最初にちょっと整理の意味で確認さしてください。
この国庫補助金改革にかかわる法案なわけですけれども、義務教育国庫負担にかかわる以外の国庫補助金が今回の法律改正によってどれだけ削減されるのかということ、それをまず確認さしてください。
○政府参考人(玉井日出夫君) お答え申し上げます。
義務教育費国庫負担金を除きます地方向けの国庫補助負担金につきましては、昨年の十一月二十六日の政府・与党合意に基づく改革に伴いまして、文部科学省関係、税源移譲に結び付くという意味でのものでございますけれども、平成十七年度において二百二十七億円の税源移譲につながる改革を行うこととしておりまして、このうち御指摘の法案改正にかかわる改革額でございますが、これは百二十五億円でございます。
○山下栄一君 その法案に伴って削減される金額、法律に直接結び付く削減額が百二十五億円かな、義務教育国庫分除いて。今ちょっともう触れられたと思いますけれども、それと予算補助を合わせると二百二十七億、こういうことですか。
○政府参考人(玉井日出夫君) 御指摘の法案以外の改革額、いわゆる予算補助でございますけれども、これが百二億円でございます。
○山下栄一君 法律に伴うものと予算措置に伴って削減されるものと、両方合わして二百二十七億ということですね。そのうち、税源移譲されるのは二百二十七億より少なかったんでしたかね、これ。確認です。
○政府参考人(玉井日出夫君) 税源移譲額は、これは法案改正とそれから予算補助、両方合わせまして税源移譲額は百六十七億円ということになります。
○山下栄一君 あと一点。
今回の法案で、法律に伴う補助金削減で廃止されるもの、これは内容と金額、分かります。
○政府参考人(玉井日出夫君) 事柄で申し上げますと、この今の縮減額の中に地震関係基礎調査交付金というものが含まれておりまして、これが廃止そのものになってしまうものでございます。
そのほかのもので若干細かいものがございますけれども、多くのものはこれは一般財源化され、そして各地域において必要な事業が行われるものと考えているわけでございます。
○山下栄一君 一回ちょっとまた整理して、ちょっとまた資料をいただきたいと思います。
今おっしゃった地震のやつは、予算に伴う、予算措置のやつですな、たしか。だから、僕の言っているのは、法律に伴って、法律措置で削減される金額並びに内容をちょっと教えてほしかったんですけれどもね。まとめて後から教えてください。整理する意味で冒頭申し上げただけの話ですので。
それで、今日の本論の話さしていただきたいと思います。
今日も朝からずっと議論あることと同時に、政府内においても、総務省の考え方、文科省の考え方それぞれがあって、なかなか政府一致で考え方が整理されていると言いにくい状況にあろう。この原因はどこから来ているのかなということを、閣議決定されながら進めているはずなのに若干いろいろ理解に差があるのかなとも思いますし、ちょっとこれもまた整理の意味で御質問さしていただきたいというふうに思います。
この義務教育というか、義務教育というのは、小学校、中学校において行われる初等教育そして中等教育の一部ということなんですけれども、私は、この分野というのは、大臣のお話によると、もっと国がやっぱり全力を挙げてやらないかぬということなんでしょうけれども、私は、設置者というか、要するにもう市町村がもっと本気になって、お金出してもらってないわけでもないんですよね。その全体の四割は市町村負担、約十兆のうち四割は負担しているわけですけれども。これは人件費以外の話ですよ、人件費に係る分もあるかも分かりません。だから、やっぱりこの市町村がもう本気になること、そして保護者というか、が本気にならずしてやっぱり進んでいかないのじゃないかなというふうに思うんです。だから、教育の地方分権ということは改革なんだということを一生懸命議論してきたはずじゃないかと。
文科省もやはり義務教育の弾力化ということを、特に河村大臣のときにはそうおっしゃっておりましたし、そういう流れと「甦れ、日本!」という形でおっしゃっていることとつながっていると思うんですけれども。イメージ的には非常に逆方向の話になっているというふうな、もっと国の関与を大きくしてというふうなイメージと、その教育の地方分権ということと、それが両方混然一体となって、例えば総額裁量制は何となく地方分権の流れみたいな、そういう整理されてないのはどこから来ているんだろうかなということがありまして。それで、これは以前にも、十一月でしたか、去年、似たようなことを私は銭谷局長そしてまた大臣にもお聞きしたんですけれども、もう一回整理さしていただきたいというふうに思います。
平成十二年の地方自治法の法律改正というか地方分権一括法でもう一遍確認されたことだと思いますが、もういろんな議論がそのときも衝突したのかも分かりません。
要するに、この小学校、中学校の学校事務というのは自治事務だということは確認されていると思うんですけれども、これはこれでよろしいですよね。自治事務だけれども、国の関与はゼロか、そうじゃないよと。じゃ、国の関与はどういう形で行われるのかという原則が、私は地方自治法にちゃんと書いてあると思うんですね。それは一体どういう観点から国が関与するのかと、戦前みたいな関与の仕方はしませんよと、じゃ一体どういう関与の仕方ですかと、この辺のことからまずお聞きしたいというふうに思います。
○国務大臣(中山成彬君) 今、山下委員からも御指摘がありましたように、本当にこれは市町村が本気にならにゃいかぬと思うんですよ。そのことは文部科学省もずうっと進めてきたわけでございます。地方に、地方分権という意味で総額裁量制を進めたり、あるいは教育長の任命承認制を廃止したりと、あるいはいろんな教育基準とかそういったものを大綱化したり、地方にどんどん渡しているわけでございます。
この地方分権ということは、これは総理進めておりますし、私も、「甦れ、日本!」の中にもありますように、現場主義の徹底ということを掲げているわけですね。あるいは、一つは教育基本法の改正でございますし、もう一つは学力向上でございますし、もう一つは教員の資質の向上でございますし、現場主義の徹底でございますし、義務教育国庫負担制度の改革と、これ五つ私は挙げたと思うわけでございますが、この現場主義ということにつきましては一層徹底していくと、この意味では方向性は同じだというふうに御理解をいただきたいと思っております。
その上で、この自治事務についてでございますが、まあ麻生大臣なんかも時々言われるんですけれども、自治事務だから国は関与しちゃいけないとか、こんな話じゃないと思うわけでございまして、少し、せっかくですからもう一回説明させていただきますが、小中学校の設置運営に関する事務というのは、平成十二年度の地方分権一括法によりまして市町村の自治事務と整理されましたけれども、それ以前から、戦後一貫してずうっと地方団体の実は事務だったわけでございます。
この自治事務につきましては、地方公共団体が全く自由に執行できる事務であるとか、あるいは国は一切の関与もするべきじゃないという議論が行われることがありますけれども、しかし実際には、この自治事務というのは様々な性格を有する事務の総称でございまして、地方公共団体がどのような裁量を有するのか、国がどのような関与を行うことができるのかはそれぞれの法令の規定によって定められているわけでございます。すなわち、自治事務でありましても、国は法令を制定することによりまして基本的な制度の枠組みや全国的な基準の制定を行うことが可能でございます。現に、現在でも国は、教育基本法や学校教育法、学習指導要領等によりまして義務教育に関する制度や基準を定め、それに基づいて指導や助言を行っているところでございまして、これは憲法の要請によるものであると、このように私たちは理解しているわけでございます。
○山下栄一君 地方自治法に自治事務といえども国の関与のことは規定されている、今も大臣おっしゃったというふうに思うわけですけれども。
その場合に、国の関与の際の原則ですけれども、今もおっしゃいましたけれども、地方自治法に書いてあるわけですが、法律又は政令に基づいて行わなきゃならないと。そういう観点から、後からこれ確認しますけれども、そういう法律があると思うんですけれども、今もちょっとおっしゃいましたけれどもね。もう一点は、必要最小限度の原則。必要最小限度の原則というのも、これも地方自治法で自治事務だけれども国の関与はあると、しかしそれは必要最小限度でなきゃならないという。この大きく二大原則が地方自治法という法律の中にちゃんとはっきり書いてあるというふうに私は思うんです、地方自治法以外の法律じゃなくてね。この確認でよろしいでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 山下先生御指摘のとおりでございます。
○山下栄一君 それで、自治事務、要するに小学校、中学校の学校の設置、そして管理運営にかかわることの中で、今、先ほど大臣は学校教育法をおっしゃいました。それから、法令に基づいてやらないかぬという、特に法律ですけれども、学校教育法、それから、先ほど何とおっしゃったかな、教育基本法。義務標準法もその一つであるというふうに言ってよろしいんでしょうかね。それでよろしいですか、確認。
○政府参考人(銭谷眞美君) 義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律も、これも法令に基づく全国的な基準の一つでございます。
○山下栄一君 私は、総務省と文科省というか、何となくこの辺の議論が、私自身もよく整理されていない面もあるんですけれども、要するに法律に基づいて行うというのは、私はやっぱり憲法、教育基本法から来ているのではないかと。それは、義務教育の根幹にかかわるところは国がしっかり責任を持つんだと。それは、例えば教育水準の維持とか、それから教育の機会の均等。ちょっと無償の話ちょっとこっちに置いて、無償が一番大事かも分かりませんけれども、そっちの話ちょっと置いておいて。そういう教育水準を保たないかぬ、それと機会均等という、これはやはり憲法二十六条に書いてある、ひとしく能力に応じて教育を受ける権利を有すると。それ、しかし、法律に基づいてと、こう書いてあると思うんですね、憲法には。だから、それは義務標準法とか、それから学校教育法、そして学習指導要領になってくるんではないかなと思うんですけれども。学習指導要領もこういう意味では学校教育法だとは思いますので。
法律に基づいてそういうひとしく教育を受ける権利、また能力に応じてというふうになっていって、それで法律があると。しかし、それは必要最小限度でなきゃならないという、この地方自治法の原則で書いてあると。そうすると、その必要最小限度という言葉のとらえ方がやっぱりちょっとずれがあって、地方自治体は必要最小限度どころかがんじがらめじゃないかと。例えば標準法に基づくやり方が学習指導要領は大分緩やかになってきたけれどもという、そういうことが、必要最小限度の原則という地方自治法の原則の理解の仕方がちょっと自治体と国によってずれがあったということがあって、文部科学省も必要最小限度ということを大事にして、そして教員の配置基準も、そして内容についても必要最小、最低限なんだと、学習指導要領の内容も、そしてこの加配の措置なんかも緩めてというふうに努力やっとるというか、しているというか、それが努力足らんかったんちゃうかというふうなことが物すごい不信感があって、法律に基づくということではそれはそのとおりかもしらぬけれども、自治事務じゃないかというようなこと言うのはそういうことじゃないかと。それは必要最小限度でなきゃならぬというこの地方自治法の原則が、ちょっと私は、必要最小限度がちょっと理解が違うかったのかなというふうに理解したんですけれども、こういう理解の仕方でよろしいんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) いわゆる地方の事務につきましては、法令に基づきかつ必要最小限度、地方の自主性、自立性をできるだけ尊重するような、そういう関与の仕方ということが望ましいのは先生がお話しのとおりかと存じます。
現在、教育事務につきましては、先生からお話がございましたように、憲法、教育基本法にのっとりまして、大きくは三つぐらいの観点から、市町村が行います学校の設置管理の事務について国として関与を行っております。その一つが学校の種類、設置、就学など、学校制度等に関する基本的な制度、枠組みを国として制定をするということでございます。具体的には、学校教育法で学校の種類、目的、設置基準、授業料の不徴収とか、保護者の就学義務、市町村等の学校の設置義務などを定めているわけでございます。それ以外にも、枠組み等について幾つか定めございますけれども、基本的には学校教育法で枠組みを定めているということでございます。
それから二つ目が、全国的な基準の設定ということでございまして、小中学校の設置基準でございますとか、学習指導要領などにおいて教育内容の基準を決めたり、教職員免許法によりまして義務教育諸学校の先生方の免許の種類等を定めているわけでございます。また、先ほど申し上げましたいわゆる標準法によりまして、学級編制の標準、教職員定数の標準も定めていると。
三点目が、地方公共団体におけるこういう教育条件整備の実施を確実に担保するための財政的支援という意味での関与、これがあるわけでございまして、具体的には義務教育費国庫負担法あるいは義務教育諸学校施設費国庫負担法などによりまして、自治事務でございます小中学校の管理運営に必要な教職員、あるいは施設につきまして財政的な支援を行っていると。
ちょっと答弁長くなって恐縮でございますけれども、先生からお話ございましたこの制度、枠組み、基準、財政的支援の中で、特に基準につきまして、余りにも細かい基準ということになったりすると、それは地方の自主性、自立性というものを損ねるということも考えられるわけでございますので、現在、全体的な動きといたしましては、例えば学習指導要領が数次にわたる改訂におきまして、できるだけ大綱的な基準となり、各学校の裁量の余地が広がるようにといったようなことで代表されますように、地方の、あるいは学校の自主性、自立性というものが発揮できるような、そういう基準にだんだん姿は変えてきていると。ただ、必要な、これは絶対やってもらわなきゃ困るというところは、きちんと基準として、最低基準としてお示しをしているというものでございます。
○山下栄一君 子供の教育にかかわること、そうかも分かりませんが、やっぱり戦後六十年たって時代も成熟して、基本的には教育も地方分権の流れだということなんだけれども、しかし心配だなと。だから、総合的学習の時間は言ったけれども、どこまでできているんだと気になってくるという。できるだけ過保護にならぬようにできるだけせないかぬということだと思うんですけれどもね。倒れる前にちゃんとこう、倒れ掛かったら支えてあげるということもやり過ぎると、子供もなかなか育ちにくいという面もあると思うんですけれども、国と地方の関係もそういう面があるというふうに思うんです。地方が物すごく不信感があるのは、そういうところから来ているのかなと。
最低基準性ということを、やはり学習指導要領も最低基準なんだということを明確に、最近だったと思いますけれども、おっしゃいましたし、義務標準法についても、これは最低基準性ということをきっちりやろうじゃないかということ、これは作業部会でもそういう答申が出ているというふうに、中間報告ですか、だと思うんですけれども。そういうことをきちっとやはりアピールしながら、そして私は、例えばスクールミーティングなんかも、それは国として責任があるからやるべきだとは思うんですけれども、なぜもっとこう例えば市町村、市町村じゃないね、県とか市レベルで、県でもいいですけれども、どんどんやりゃいいと思うんですよ。そういうことが余り聞こえてこない。報道の仕方にもあるんかも。何で、いつも何でも国が何しているんだと言う。学校の安全が問題になれば国は何しているんだというふうな、そういう、国は何しているんだいうことも、それは追及せにゃいかぬ部分もありますけれども。本来自治事務なんだったら、そういうことを必死でやっぱり、冒頭申し上げましたように、市町村が本気にならないと、いつまでも、もう戦後六十年もたっていますよということが、なかなか不信感が募る一方になるのではないかというふうに感じております。
それで、この学習指導要領なんですが、今見直しが始まっているわけですけれども。私は、教育の内容については、やっぱり専門性といいますか、学問の専門性、そして発達段階に応じた、何を教えるべきかということをきちっとやはり専門家の意見によって決めていくという在り方が正しいと思うんですね。そういうことで教育課程審議会が、教育課程部会になったんですか、があるとは思うんですけれども、この辺もちょっと言い過ぎるかも分かりませんけれども、私は、例えば学習指導要領、教育内容については学校教育法二十条でしたか、小学校について書いてあると。施行規則があって、そして最終的には大臣告示というふうに、大臣告示で教育内容を学習指導要領の形で決めると、こうなっているわけですけれども、もうそういう形で戦後来たわけですけれども、戦後じゃないな、これは昭和三十年代以降でしたか、昭和三十三年以降ですかね、この学習指導要領方式というのは。
じゃ、大臣は政治家の場合もありますねと。じゃ、政治家が教育内容決めるんですかと、まあ形式ですけれども、これはね。形式上そんなふうになっていると、大臣が学習要領告示するんだと。そういうことは、そういう表現なり仕方なんですけれども、もちろん大臣が教育内容を決めているわけじゃないわけですけれども、そういうことも見直してもいいんじゃないのかなということを感じております。もっと本来は、教える内容というのは、政治的な信条によって左右されてはならない、イデオロギー色もあってはならない。それは教員もそうだし、教員もイデオロギー的な教育をしてはいけないと同時に、教育行政の在り方も問われている、これが教育基本法第十条の精神ではないかなというふうに思うんですけれども。ただ、大臣が教育内容を告示するという在り方は、見直すことも検討したらどうかなということ、ちょっと激しいこと言いますけれども、そんなこともちょっと最近考えているんですけれども、どうでしょうか。教育行政の政治的中立性というか、そういう観点からなんですけれどもね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 山下先生御案内のように、現在学校の教育内容につきましては、次のような法制度に基づいて国の教育課程の基準が定められております。
まず、学校教育法におきまして、例えば小学校なら小学校の目的、目標というものが定められております。そして、具体的な教科の内容につきましては文部科学大臣の方に委任をされております。それを受けて、実は二つのことがございまして、一つは文部科学省令でございます学校教育法施行規則におきまして、小学校なら小学校の教科、こういうものは省令で定めております。それから授業時数ですね、これも省令で定めております。そして更に各教科の具体的な目的、目標、内容、それから内容の取扱い等につきましては、文部大臣が告示をいたします学習指導要領にゆだねられているという法制度になってございます。
もちろん、学習指導要領は文部大臣告示でございますけれども、これの作成に当たりましては、先ほど山下先生からもお話がございましたように、各教科の学問的な専門性、それから発達段階に応じた適切な指導内容、これを担保する必要がございますし、また教育に本来的に要請されております教育の政治的、宗教的な中立性等にも配慮したものにならなければならないと思っております。
これまでの学習指導要領の作成の作業といたしましては、従来でありますと教育課程審議会、現在の中央教育審議会教育課程部会で、専門家の方々、学識経験者の方々に集まっていただきまして基本的な方向について十分御議論をいただいて、答申をいただいて、それを踏まえて、文部科学省において、各教科の専門的な研究者の方や各学校段階の現場の先生方の御協力を得まして、これは学習指導要領作成協力者会議というものを通常はつくりまして、各教科とも数十名の方に小中高入っていただくわけでございますけれども、そういう協力者会議の協力を得ながら公平、客観な内容となるように検討して作成をしているものでございます。
なお、こういう専門的な研究者や各学校現場の教員の数など、前の例で申し上げますと、私の記憶では六百名ほどの先生方に御参加をいただいていたというふうに記憶をいたしているところでございます。
○山下栄一君 総合的学習の時間の、余り教材を示したら何のための総合的学習時間かという議論もございましたですけれども、もちろんいろいろ事例集なんかも、特に十七年度予算で文部科学省も一生懸命手当てされているわけですけれども、私は、こういうのは市町村で、自分たちでこういう事例集を作る努力をして作っていくという迫力がないと、この総合的学習時間も成功しないという、だけれども、おんぶにだっこ方式で、国が何かやってくれるんちゃうかというふうな、在り方そのものが今問われているのではないかというふうに思っております。
もう一点、就学義務の問題、これも十一月にもちょっと別の形でお考えはお聞きしたんですけれども、だれのだれに対する義務かということはもうやめますけれども。
就学義務の根拠は、私は学校教育法だと思うんですね。これも文科省の考えをお聞きしたいんですけれども、これは憲法、そして教育基本法が求めるものではなくて、ある意味じゃその下位の法律とも言うべき学校教育法によって就学義務というのは課せられ、そして親が学校に子供を行かせなかったら罰則だという、こういうやり方はやっぱり途上国型ではないかなというふうに感じます。就学義務の在り方もそろそろ、教育の多様化時代、そして見直す段階に来ているのではないかと。まあ一遍に行きませんけれどもね。
考え方として、この就学義務の根拠法は一体どの法律なんだということを確認させていただきたいと思います。
○国務大臣(中山成彬君) この義務教育というのは、近代国家が成立したときから国の責任というようなことになってきているわけでございます。我が国におきましては、今、山下委員御指摘のありましたように、憲法二十六条の二項におきまして、すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負うということになっております。これを受けまして、教育基本法では、国民はその保護する子女に九年間の普通教育を受けさせる義務を負うと、こうなっています。さらに、それを受けまして、学校教育法の第二十二条におきまして小学校に就学させる義務が、同じく第三十九条におきまして中学校に就学させる義務が定められているところでございます。
○山下栄一君 私は、憲法から直接導き出されるものではないというふうに、そういう理解が正しいのではないかというふうに、学校に、その学校というのもいろんな意味がありますけれども、いわゆる学校教育法における学校に行かないと罰則であるという、そういう考え方はもうそろそろ卒業せないかぬ時期ではないのかなというふうに感じております。
したがって、親は確かに自分の子供に普通教育を受けさせる義務があるけれども、それを、例えば公的機関がつくった学校に行かせないかぬのかという、そういうことを問題提起しているわけです。それが一般的なんだと思いますけれども、それは、だけれども必然かと。憲法が求めているものかどうかということはまた別の議論ではないかなというふうに思うわけです。
私、直接的には、就学義務というのは学校教育法なんではないかと、憲法、教育基本法ではないと、こういう理解でございますし、だから日本が加盟している条約においても、個人が学校をつくったりすることを、団体といっても、法人でもないような団体が学校をつくってもいいと。ただし、それは最低限度の教育内容は親として守らな駄目ですよと。場合によっては我が家で、国に届けながら、公的機関に届けながら自分で教育するということを禁止しているという趣旨ではないのではないかと、憲法の二十六条というのはね。そういう意味で私申し上げているわけでございますけれども、ちょっと問題提起なんですけれども、そういうお考えが文科省にも、私の考え間違うていますかね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 就学させる義務というのは確かに学校教育法で初めて出てくるわけでございますが、私ども考えておりますのは、憲法で普通教育を受けさせる義務を国民に課し、教育基本法で九年間の普通教育を受けさせる義務を課しているわけでございまして、そういう憲法、教育基本法が期待をする内容を持った普通教育を義務教育として実施をするためには、学校に就学をさせるということが最もそれを実現できるやり方ではないかということで、学校教育法にそういう規定があるというふうに受け止めております。
なお、現在、この就学義務の在り方につきましていろいろな御意見があることは私どもも承知をいたしております。例えば、外国では、これはいろいろな事情があるわけでございますけれども、アメリカとかイギリスでは、いわゆる家庭で教育を行うホームスクールというのが認められていたり、本来、就学義務があるんだけれども、就学義務の免除としてホームスクールというのが認められているといったようなケースもございます。
ただ、私どもといたしましては、やはり憲法、教育基本法からきます、子供たち、日本国民にしっかりとした内容の普通教育を受けさせるという意味から、やはり就学義務を課しているということは今日的になお意義があるというふうに思っております。
ただ、現在、中教審で、先ほど様々な見方があるということを申し上げましたけれども、就学の機会や就学時期の弾力化など、その義務教育の就学に関する制度の在り方について一通り幅広い観点から検討を行っているというのも事実でございます。ただし、方向としてまだ就学義務の見直しといったようなことになっているわけではございません。
○山下栄一君 学校に子供を行かせないと罰則だというふうな、そういう時代じゃないのではないかということを私は申し上げているわけです。世の中、一般的には、どちらかというと、家の、家庭の中の子育てとか教育が非常におろそかになってきて、だから、地域の人もサポートし、場合によっては自治体、公的機関もサポートせないかぬという、児童虐待の時代でもあるし、ちゃんと親は教育しておるんかというふうなことの方の報道が多いわけで、そんなときになじまないような議論に一見見えますけれども、私はそういう一つの見識というか、日本の国の教育先進国としての考え方として、学校に行かせないと罰則だというふうな考え方はもう古いのではないかということを申し上げておるわけでございます。
そういう具体、政策取るかどうかは、これはもちろん立法政策なわけで、もちろん学校教育法を改正せなあきませんからね、そういうことにつながるんでしょうけれども、そんな議論も私は義務教育の在り方の問題として議論すべきではないかと、そういう多様な今時代なんだという認識が大事なのではないかというふうに思っております。
もう質問終わりたいと、時間もうちょっとありますけれども……
○委員長(亀井郁夫君) いや、いいですよ。
○山下栄一君 いや、もう終わりますけれどもね。
○委員長(亀井郁夫君) 終わられます。
○山下栄一君 もう質問することなくなってきたんで、だんだん。
これも大臣のお考えをお聞きしたいと思いますけれども、子供は一体だれが責任を持って育てるんですかということがちょっとぼやけてきているんじゃないかなということを、特に非常に感じておりまして、少子化社会、そして子育て支援ということが言われる中で、子供は一体だれが責任を持って育てるんだということが非常に、こういうことは別に国会でやる議論じゃないとは思うんですけれども、世の中、世間でこういう議論をしっかりやらないかぬのではないかなというふうに思うんです。
自助、共助。自助、共助がおろそかになって公助ばっかり叫ばれていると、これ本末転倒になる世界が子育てという世界ではないかなと。もちろん、保育所を造ったり、それからいろいろ経済的支援もすることも大事だというふうに思うんですけれども、税金は限りがあるわけで、こんなこと言うと我が党の政策とちょっと若干違うような面も続いておりますけれども。全部公的セクターでやるというふうな流れに行き過ぎるんですけれども、やっぱり子供は、我が子は親が育てるという、私の家もそう偉そうに言えませんけれども、そういうことが物すごくおろそかになってきているんじゃないかなという、この辺のことをしっかりさせないで子育て支援といっても、なかなか限界があるんではないかというふうに思っております。
様々な動物も魚も我が子を命懸けで親が育てるわけで、それで後継者つくって死んでいくというか、それが生物の世界。人間社会がちょっとその辺がおろそかになってきているんじゃないかなということを、家庭教育を叫び、家庭教育を支援することも、それはやらなあかんかも分かりませんけれども、家庭教育というのは本来自治の世界で、自分の子供は自分で育てるという一つの信念を持って、宗教的信念、道徳的信念、政治的信念を持って、しっかりと信念を持って、人生観を持って我が子に伝えていくというのが本来の姿ではないかと。そういうことを抜きにして、道徳教育とか宗教教育とか、また政治教育ということは、私はちょっと議論が反対なんではないかなと。
今日、先ほど中曽根元総理の話も、心の軸を、なくなってきているから国が与えるみたいなことは、それは教育じゃないんじゃないのかなというふうに私は思うわけで、確かに人を育てにくい、子供を育てにくい、子供が育ちにくい、大臣もおっしゃいました。そういうふうになってきている。学力低下も、学習意欲どうしてつくっていくかというのは、勉強時間を増やしたらええのかというのではないのではないかなと。もちろんそういうことも大事なんでしょうけれども、もっと根本的な、だれが責任持って、自分の子供は自分で育てるということを大前提にした議論でないと、ファミリーサポートも子育て支援もちょっと本末転倒ではないかなということを物すごく感じておりまして、そういうことを国民的議論でしっかりとやることが今求められているのではないかと。
教育の根本にさかのぼるからといって、教育基本法という、すぐそっちに結び付くのかなと。教育の基本、人間を育てる基本をもっともっと、そういう、国会の場でももちろん国民の代表だから議論せないかぬでしょうけれども、隣近所で、我が家で、夫婦で、そういうことが議論されないままに法律改正しても、それは私はどうなるのかなということを非常に感じておりまして、そういう意味で、人を育てることがおろそかになってきているということがもう根本的な問題だと。
こういう子育て、教育の根本にさかのぼった議論をしっかりとやる必要があるのではないかということを感じております。この辺は私は大臣も共有されておるのではないか、先ほど来お聞きしながら感じたんですけれども、その感想をお聞きしまして、質問を終わりたいと思います。
○国務大臣(中山成彬君) やはり子育てというのは、これは親の責任、保護者の責任、これが出発点だろうと思うわけでございます。今、山下委員、正にそういう意味で、教育も、義務教育、学校に行かなくても自分で育ててもいいんじゃないか、そこまで踏み込んだ見識をいただいたわけでございまして、そういう意味では親の責任大事でございます。
今、教育基本法の話もされましたが、この教育基本法の改正の中にも家庭教育の大切さということもうたっているわけでございまして、そういう意味でも、是非、教育基本法の方についても御理解、御支援いただきたいなと思っているわけでございますが、私どもは、やはり教育を含めた子育てというのは、まず親の責任、保護者の責任である。しかし、今の世の中というのはなかなかそれだけではうまくいきませんので、学校、地域、そして国を挙げて、子供は社会の宝、国の宝であるという観点から、みんなで力を合わせて次の世代を担う子供たちが健全に育つように教育改革に力を入れていきたいと、このように考えているところでございます。
○山下栄一君 終わります。