162国会 文教科学委員会会議録 2005年03月29日
○山下栄一君 自民党、民主党、それぞれお話あったことを踏まえまして、ちょっと違う角度からも御質問したいというふうに思います。
この中教審の議論が非常に大事な局面になっていますし、この国庫負担制度の問題だけではなくて、教育、学校教育だけではない、学校教育も含めた人間の、人を育てるということにかかわることが非常に徹底した国民共有の意識が必要とされている時代を迎えているというふうに私は思いまして、中央教育審議会は文部科学省の八条審議会でございますけれども、元々は政府、中教審の前身、前身はたしか政府直属といいますか、そういう審議会であったというふうに理解しております。
そういう意味で、国民の代表の教育の面からの教育国会というか、それほど非常に重みのある組織が中央教育審議会であるというふうに私は考えているんですけど、そういう意味で、今日参考人に来ていただきました三名の皆さん方は大変重要なかぎを握るお立場でもございますので、そういう意味から骨太の議論を、秋までというのは期間がそんなにないようではございますけれども、充実した議論、国民が納得する、共感するそういう議論を是非ともお願いしたいというふうに思っております。
そういう意味で、もう財政の問題につきましても、憲法、教育基本法、そして地方自治法、こういう観点からも踏まえた骨太の議論を是非ともやっていただきたいと思いますと同時に、この義務教育制度、小学校、中学校、国民の基礎教育、普通教育という表現もありますけれども、そういう観点からの徹底した議論をお願い申し上げたいと思います。
まず第一に、学力低下の問題でございます。
学力低下の原因いろいろ言われておりますけれども、これも非常に私は不十分な議論になっているのではないかというふうに考えておりまして、どこからこの学力低下かというのが起こっているのかという、また本当に起こっているのかということもあるというふうに思います。データの取り方にもよると思いますし、この調査、分析、検証、これをきちっとしたデータの裏付けを持って是非とも議論すべきだというふうに思います。
そういう意味で、この学力低下の原因、一体、一言で言いにくいかも分かりません、それぞれどういうふうにお考えなのかということを三名の参考人の方にお聞きしたいと思います。
○参考人(鳥居泰彦君) 学力低下の原因は非常に多岐にわたると私は思います。そしてまた、学力低下の傾向はかなり長期にわたって静かに進んできたものだと思います。したがって、簡単にどれがどれというふうに申し上げるのは非常に難しいのですけれども。
私、まず最初に挙げたいのは、やはり今までの学校の教え方、そこに一つメスを入れるべきではないかと思います。教えて考えさせる教え方と教えないで考えさせる教え方という問題が前々回の義務教育特別部会で問題になりまして、大変な議論が行われました。これは非常に大きな問題の一つだと思います。
それから、我々が目を向けなければならないのは、社会全体が変わってきて、学ぶという営みに対する日常生活の中での子供や親の姿勢が変わってきたと思います。これは非常に大きなファクターだというふうに思っております。
それから、三番目には学校の在り方、これが学力低下と言われている現象にかかわっていると思います。
四番目には、まだまだ、だれをどう批判するというのではなくて、お互いに教え方をどう改善したらいいかという工夫が必要だと思います。それから、学習指導要領も見直すべきでありますし、教科書もまだまだ工夫の余地があると思います。
今、教科書の問題になりますと歴史的な記述をどうこうというところだけに議論が集中しがちでありますけれども、そうではなくて、もっとベーシックなところで教科書の改善の余地はないか。子供たちにもっと美しい言葉を教える国語の教科書はもっと工夫できないか、子供たちに数概念を教えるためのもっと優れた教科書を工夫できないか、そういう観点から教科書を工夫していく必要があると思っています。
いずれにしても、私はできるだけ前向きに、お互いに過去を批判し合うとかお互い批判し合うというような話ではなく、前向きに教育の方法を改善していくということに集中すべきだというふうに思っております。
○参考人(石井正弘君) 私は教育の専門家ではございませんけれども、県議会でも教育に関する議論が随分活発に展開され、時々私も見解を求められております。
これはもう学校そのものに大きな問題があるのではないか、また教師にその大きな責任があるのではないか、そしてやはり、そうはいっても家庭そのものに最も大きな原因があるのではないか、私はそういった意見、それぞれごもっともだと思いますが、やはり社会全体、大人の背中を見て子供が育っているわけですが、我々大人社会が今のままでいいんだろうかと。それを見ながら子供さんたちは日々学習しているわけですから、社会全体でこれは取り組んでいかなきゃいけない問題であろうというふうに思っておりますが、これは、今後の取組は正に私は鳥居会長さんと同じ考えでございまして、とかくそうすると、だれが悪い、あれが問題だというふうに批判しがちなんですが、そうではなくて、やはりみんなでこういう問題を認識した上で前向きに取り組んでいこうと、連携をしながら、ともに今の危機的な日本の教育状況を認識しながら前向きに改善するという方向で取り組んでいかなきゃいけない。このことの合意がやっぱり一番大切ではないかというふうに日々痛感をしているものでございます。
○参考人(渡久山長輝君) 私は、一つは、子供たちの目当てといいますかね、生きる方向性、価値観というのが非常に今多岐にわたってきていると思いますね。前は、極端な言い方をすれば、東大か甲子園かというような感じで非常に単純化された中で競争していて、それの中でまた新幹線授業とか落ちこぼれというのが随分出てきていたわけです。これは必ずしも正しくないわけですけれども、そういう価値観の中にあったんですが、今はそういうことにならない。大会社に入ってもいつ倒産するか知れないという状況の中で、やっぱりそういう子供の目当てというのが社会的には失われているんじゃないだろうかと思います。ですから、学ぶ目標、あるいは何らかの学ぶ喜びというものが必ずしもないんじゃないかと思うんですね。
それから二つ目は、家庭と学校との関係なんですが、前は、私も現場にいた数年前は、子供たち、体罰は良くないけれども、ちょっとぐらい殴ってもだれからも文句言われなかった。逆にお父さん、お母さんから感謝されていたときもあったんですが、今は少し手を出したらすぐ教育委員会に行って何だと、暴力教師といって体罰は禁止と、こうなりますね。
しかし、それは、僕は体罰がいいとは全く言っていませんけれども、あれほど子供たちと教師とそれから家庭とが非常に親密な関係にあったんです。そして共有する、責任を共有して子供を育てようという環境にあったと思うんですね。今は何となくみんなばらばらになっていて、家庭も十分に教育力を発揮できない、学校も何か臆病になってしまっているという感じがしてくるんじゃないかと思います。
それから、しかしそうはいっても、やっぱり子供たちの将来のためにはきちっとした学力を身に付けなくちゃいけないと思うんですね。今先生言われたんですけれども、かつて七五三と言われていた学力の、しかし、この状況は今でも僕はあるんじゃないかと思うんですね。結局、小学校の二年生とか三年生のときに算数とか何か非常に難しい教科が来たときに十分に指導できていないですね。これは、一つには四十人学級という大きな学級があって、それが教員の教材研究のする時間もない非常に多忙な中で十分に子供たちに手当てができていないという状況の中にあるわけですね。
ですから、私は、そういう面ではやはり条件を整備することと同時に、先ほど会長も言われたんです、鳥居会長も言われたんですが、やっぱり授業の仕方をもっと工夫をして、やはりともに学ぶという感じの授業の仕方、これはもう既にいろいろな学校では実験的に行われ、実験でなくてもう既に行われているんですけれども、そういう形で成功している例があります。
今、文部省が、学校協議会、学校協議会制度というのをつくったんですけれども、これはやはり地域の代表と保護者の代表が入って学校の運営や教育に参加するということなんですね。そうしていけば、やっぱりこういう不登校の子供に対しても共有をしていけるんですね。あるいはまた、学校のそういう防災関係でも地域と学校が共有していけるというような形が出てくると思います。そういう面では、もっともっと学校と地域社会あるいは家庭が一緒になって子供を育てていくという環境づくりというのが非常に大事じゃないかと、こういうふうに思っています。
○山下栄一君 ありがとうございます。
今、それぞれ、一言で言いにくい状況の中で非常に分かりやすく御説明いただきました。私は、この中教審の議論の中で、先ほども申し上げましたけれども、やはり様々なデータ、余り偏りのないそういうデータ、そして検証に基づく議論を是非ともお願いしたいなと思っております。
私は、学力低下も体力低下も意思力の低下も学ぶ意欲の低下につながるのかも分かりませんけれども、そういうこと、鳥居会長おっしゃいましたように、様々なこれは背景があるという、そういうことの前提でやはり議論することが大事なのではないかと。学ぶ意欲を奪うような、また出てこないような、子供、学校を取り巻く生活環境があるのではないかという、そういう観点も大事だというふうに思います。
どうしても自ら育った子供のころの意識で教育論を展開しがちですので、今現在の子供が置かれている社会環境といいますか、食文化もそうだと思いますし、そういうIT社会、小学校の子供でもホームページを持つような時代の中で圧倒的な情報量は教師よりも多いかも分からない、そんな中で育っているということもあると思いますし、自然環境も破壊されてきているということもあるというふうに思いますし、様々な中で学ぶ意欲をかき立てられないということはやっぱり大人の責任だという面も思います。それは教師だけではなくて両親もあると思いますし、大人の姿を見ても目が輝いてこない、こういう、よし、生きていくぞというような強い意識が触発の中で出てきにくいといいますか、そういう方もいらっしゃるかも分かりませんけれども、全体的にそういう人も減ってきているんではないかということも含めて、幅広い学力低下の、また体力低下の、また学ぶ意欲の低下の議論を是非ともお願い申し上げたいというふうに思います。
もう一点、どうしても日本で教育を議論する場合に、学校教育ということが非常にすぐそちらの方に行きがちな面があるというふうに思います。
学校五日制になり、学校における学ぶ時間が減る中で、学ぶ時間を増やしたら学力が付けるというものでもない、授業時数を増やせばいいというものでもないと思いますし、ともすれば学校教育依存型といいますか、学校依存主義社会といいますか、そういう面が非常に強いのではないかということを、学校教育法という法律もあり、社会教育法という法律もあるんでしょうか、法律が所管する分野でない分野、これが公的教育じゃない分野だというふうに思うんですね。
社会教育もそうだというふうに思います。子供会もそうだと思いますし、地域における様々な取組は別に法律にのっとってやっているわけでも何でもなくて、企業教育も別に法律にのっとって企業教育をやるわけでもないと思いますし、家庭教育もそうやと思います。人間を育てるということの議論を学校教育に偏らない形で議論することが非常に求められておるのではないかと。人が育ちにくい、子供が育ちにくい、子供が育てにくい、そういう世の中が現状ではないかというふうに思います。
物が豊かな社会は非常にしつけもしにくいと思うわけでございまして、児童虐待が非常に増える中で、またニートと呼ばれる、先ほど渡久山さんがおっしゃいました、働く意欲そのものが見えてこない、そういう社会になってしまっている。そんな状況の中で、やっぱり学校教育だけではない、幅広い人を育てるという営みの在り方そのものの議論が非常に今大事なのではないかと、そういうことの国民的議論が大きいのではないかと。
税金で行う公教育の、塾もそうかも分かりません、そういう税金で行わない分野でもあるわけでございますので、そういう学校教育ではない、幅広い学習、そして人を育てる、そういう観点からの議論を是非とも中教審でもお願い申し上げたいなと思っております。この点についての感想をちょっと一言おっしゃっていただければ有り難いなと思います。
○委員長(亀井郁夫君) どなたに。
○山下栄一君 それぞれ。それぞれ、済みません。
○参考人(鳥居泰彦君) おっしゃるとおり、人間の成長過程でいわゆる人間形成と呼ばれるプロセスが進んでいくとき、身体的な成長、体格や体力や運動能力、そして心の成長、愛と憎しみ、それから精神の成長、言葉、数概念、感性、徳性、理性、知性、社会性というふうに挙げていきますと、それらの多くは必ずしも学校だけで培われるべきものではないと思います。是非、日本の社会が今列挙いたしましたような事柄について子供たち一人一人の人間形成を推し進める力を持った社会になっていくように、これはもっと広い意味の教育論の中で考えるべきだと思っております。
同時に、学校という一つの枠の中でやらなければならないことがあると思います。
今、五つほど挙げてみたいと思いますが、その一つは、健やかな体とたくましい精神力をつくる。そのためのプログラムが学校には用意されています。第二に、社会規範や道徳を教える仕組みが学校には用意されています。第三に、学習の仕方、学習の習慣を教える。それは学校という場で非常にやりやすくなっています。また、学校でないと学習の仕方や学習の習慣を効率的に教えることはなかなか難しいと思います。第四に、基礎的な知識や技能を教える。これも学習指導要領と教科書を中心として一定のプログラムが用意されておりまして、もちろんそれを更にもっと効率的なものにする必要はありますけれども、既にかなり十分なものが用意されております。そして第五に、抽象的に物を理解し、考える。子供たちの教育は具体的なもので物を覚えるところから入りますが、リンゴ一つ、ミカン一つというのが数としての抽象的な一、二という抽象の世界に入っていくそのプロセスを誘導してやることができる、そういうことが教育学の中で磨かれてきておりまして、それは学校で非常によく行われることだと思います。
その意味で、以上六点を振り返ってみますと、学校というものも非常に重要な役割を果たしておりまして、少年時代、青年期の一定の時間、人生の中の一定の時間を今申し上げた学校という仕組みの中で過ごすことは非常に重要だというふうに思います。
○参考人(石井正弘君) この間の中教審の部会に出ましたところ、尾道の小学校の校長先生、臨時委員でいらっしゃいますけれども、お話がございました。
小学校のお子さんが学校で学んでおられる年間のその時間よりも、一年間でテレビを見ている時間の方が長いんだそうでございまして、そのテレビを見る時間を一日一時間減らしてくれ、あるいは早寝早起きの習慣、家族みんなで団らん、こういったようなこと等々を行って取り組んでいらっしゃって学力が非常に上がったというお話がございましたが、正に一番大事なのは、もちろん小学校、中学校の義務教育のその教育そのものが大事ではございますけれども、社会とのかかわりの中で子供さんたちはいろんな影響を受けております。そういう面では、学校教育だけではなく、幅広いお子さんを取り巻く学習環境、そういったもの全体を是非中教審でも御議論賜ればと、これは会長さんがこれから進行されるわけでございますけれども、そのことを期待をさせていただいております。
○参考人(渡久山長輝君) 実は、私は六か月ほど腰を痛めてつえをついて歩いたことがあるんですね。そうしますと、電車に乗って、ここはハンディキャップの席だというのに立たないんですよね。子供たちも立たない、だれも立たない。せっかく空いた席があって、つえをつきながらすとすとと行ったら、ぱっとお母さんが自分の子供をぱっと座らせて、そうしたら子供が立とうとしたんですよ。そうしたら、そんな必要ないわよと言ったんですね。だから僕は非常に悲しくて、六か月の間に四回しか席を譲っていただいたことないんです。
ですから、やっぱりそういう形で、どうも今の社会は、学校が悪いとかだれが悪いというのではなくて、やっぱりこういうしつけだとか、あるいは人間的なルールだとか、そういうことについて非常に疎くなっているんじゃないかなという気がしますね。だから、温かみが非常になくなってきているような気がいたします。
そういう意味では、地域で最近は非常に、これは犯罪から地域を守ろうという感じのものとか、そういうのがいろいろ出てきていますけれども、やっぱりもう一度地域社会の温かい再生というのが必要になってきて、やはり子供たちも、あるいはまた大人も本当に安心して、あるいは温かくお互いに認め合って住めるような社会づくりということをやっぱりやっていかなくちゃいけないんだろうというような感じがいたしております。だから、これが競争競争の中でだんだん失われてきたんじゃないかなという気がしています。