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国会質問

165国会 教育基本法に関する特別委員会会議録 2006年11月24日


○山下栄一君 教育特別委員会で初めて質問をさせていただきます。大分時間遅くなっておりますけれども、できるだけ効率的な質問をしたいなと思っております。
   〔委員長退席、理事保坂三蔵君着席〕

 私の質問は今日は一つだけでございまして、高校における未履修の問題でございます。これが、高等学校における学習指導要領の在り方、また高等学校における普通教育の在り方、また高校教育の在り方、そういうところに非常にかかわる、つながっていく問題であると、このように思うからでございます。
 高校進学がもう五〇%にも満たない時代と違いまして、今はもう、十五歳になりまして義務教育終わった方々が大半がその上の学校制度でございます高等学校の段階に、中期高等教育に行くという時代になりました。


 高等学校そのものも、私、この前本会議でも質問させていただきましたけれども、非常に多様化していると。各県において、中退者、不登校、またなかなか学力が付いてこれない生徒、一方では進学率が非常に高い学校。もう非常にほとんどの、要するにある年に生まれた子供がほとんど高校に行くわけですから多様化せざるを得ないと思うわけです。それが今の現状の高校と高校教育行政がマッチしているのかということが問われた問題が未履修問題じゃないかなと、このように思っております。

 それで、この未履修の子供たちをどう手当てするかというようなこともいろいろ議論されて、今、卒業式を延ばして勉強する時間を確保したりしているような学校も出ておりますし、苦しみ抜いて板挟みに遭って自殺してしまった校長先生もおると。何でこんなことになるのかなと。制度そのものがちゃんと機能しておるのか。今の時代に、全入、ほとんどの子供が高校に行く段階にマッチしているのかということを突き付けた問題であったのではないかと。


 まず最初に、履修ということなんですけれども、履修というのは一体どういうふうな意味なのかということをちょっと確認したいと思います。


○政府参考人(銭谷眞美君) 履修というのは、通常、教科・科目の目標に到達すべく授業に参加をして授業を受けるということを意味をいたしております。したがいまして、未履修という場合には、当該教科・科目について授業を受けていないということになるわけでございます。


○山下栄一君 時代の変化に伴って、授業に参加する、授業を受けるということ自身がもう大分変わってきているんではないかなと。とにかく体を運んで学校のその授業の席に座って聞くいうことやと思うんです、まあ寝ていようが何しようが履修になるんでしょうけど。
 じゃ、通信制の学校における履修というのは、どのように考えたらいいんでしょうか。


○政府参考人(銭谷眞美君) 高等学校の教科・科目の履修は、基本的に各科目ごとに何単位という時間が決まっているわけでございます。一単位というのは、年間三十五単位時間の学習、履修、これが一単位ということになるわけでございます。通常の全日制あるいは定時制の課程では、三十五時間の五単位時間の授業に参加をして学習をするということになるわけでございますけれども、通信制の課程におきましては、いわゆる通常は自学といいましょうか、テキストに基づいて学習をし、一定の割合でスクーリングと、これが全日制、定時制の場合の授業の受け方と相通ずるわけでございますけれども、三十五単位時間なら三十五単位時間の中でスクーリングというものが何回かございまして、そのスクーリングと、それから自宅での教材に基づく学習、そしてそれに基づくレポートの提出による指導ということが合わさって、言わば高等学校の履修の仕方として一つの特別のやり方ということになっているわけでございます。


○山下栄一君 時代の変化によって授業に参加するということじゃないわけですよね、この通信制における履修というのは。添削指導は、これ、今おっしゃった話は基本的に自己責任で自分で勉強するわけですからね、通信制なわけやから。それだけでは担保できないから、単位時間当たり添削指導何回、それから面接指導何回というふうに極めて限定された形で授業参加と言えるのか、それはと、こうなってしまうわけで、それはやっぱりそういうふうな時代の変化によってそうなっているわけで、履修の在り方そのものが一般、我々の理解では、教室に行って授業に参加して聞くということだったけれども、それが履修というんだったというけれども、そのこと自身がもう変わってきていると、履修の形がね。

 例えばインターネット学習まで認めるような時代になってきているわけでしょう、今。まして、その高校卒業程度認定試験なんて認めて、高校卒業なんだという。それは試験でやるわけですから、別に授業なんか全く参加しなくても。そういうことでも、それは高卒じゃないけれども、高校卒業程度という形で認めるような時代を迎えているわけですよ。未履修って一体何なんですかということ自身が、ちょっとやっぱり時代の変化とともに変わってきていると思う。中学はまあ履修という話でしたけれども、別に単位認定なんてないと。
 で、単位を修得したというのは、どういう状態を単位を修得したと言うんですか。


○政府参考人(銭谷眞美君) いわゆる単位の修得でございますけれども、履修をいたしました教科・科目につきまして、その成果が教科・科目の目標に照らして満足できると認められた場合、単位の修得ということが認められるわけでございます。
   〔理事保坂三蔵君退席、委員長着席〕
 私どもが参考までに示しております高等学校の指導要録というのがございますけれども、これによりますと、高等学校では通常五段階で評価をいたしまして、五段階評価の評定が二以上について単位の修得を認定をするというのが一般的かと存じます。


○山下栄一君 だから、原則としては履修をして、履修というのは別にどれだけ分かっているかというよりも、とにかく聞いていると。聞いているというか参加しているというか、形だけ参加していても、それは寝ててもそれは履修になるわけやからね。それが要するに通信制ではそれ自身も危ういということだと思うんですよ。

 で、修得というのは、試験とかレポート提出で評価することによってある一定の水準があるということを認定すると。で、大事なところは、単位の修得とか卒業の認定というのは一体だれがやるんだと。それは文科省じゃないと思うんですね。どこですか、これは。


○政府参考人(銭谷眞美君) いわゆる単位の修得、卒業等の認定は校長の権限でございます。


○山下栄一君 私はちょっとやっぱり今回の未履修問題は、もちろん進学校においてちゃんとした報告もしないで、履修すべき教科・科目を初めから教科書も買わせなかったというふうなところはちょっとこれは罪が深いとは思いますけれども、未履修問題といって大騒ぎするということなのかなと。最終はそんなの学校現場にいないと分かんないわけで、場合によっては校長先生も、生徒と授業計画立ててやるわけじゃない、授業計画を書類でチェックしたかて、そんなことは、本当にその授業をやってるのかどうかなんて分からないわけで、教科書を買えば、一応渡っているかもしれないけど、それ本当にめくってやっているのかというようなこと、もう教師と生徒の信頼関係の中でやるわけで。

 僕はやっぱり学校現場で、まあ出席日数もそうかも分かりませんけど、修得にしろ認定にしろ学校の方で校長の権限でやるという今仕組みになっていますし、それをもう三百万人近い高校生を全部そんなこと国がチェックできるはずもないし、そんなこと議論して何の意味があるのかなと。これ全部そしたら授業計画出さして全部文科省チェックするんですかと、本当に授業やっているのかどうかみたいなことを。そんなことナンセンスやと思うんですね。

 だから、やっぱり教育というのはそういう法律でこう拘束するということもそれは最低限なかったらいかぬと思いますけど、やっぱり教育という営みは教師の人格によって生徒との交流の中で育って命をはぐくんでいくという、そういうことなわけで、どこまでそれを、いわゆる行政というレベルでこのピラミッド型の指揮命令系統の中で行えるのかなということを、よく限界を自覚した上で教育行政をやるべきだという私は考え方でこういうことを申し上げているわけですけれども。

 だから、その履修、未履修というようなことも、余り騒ぎ立てられたから仕方がないから調べざるを得ない状況になってしまったという、針をつつくような話なんですね。何かおかしなふうに行っているなと。

 それで、お手元にこれありますかね。「高等学校における必履修教科・科目について」というペーパーをお配り──行ってませんですか。行ってますね。
 それで、私はこの高校における必履修教科・科目というのを久しぶりに見さしていただいて、えらい複雑になっているなというのが正直な感想でございます。今、現行のこれは、この「高等学校における」という意味は、もうありとあらゆる、全日制であろうが定時制であろうが通信制であろうが、普通科であろうが専門科であろうが総合学科であろうが、これはもうこの前、本会議で申し上げましたけれども、そういう物すごい多様化しているすべての高等学校、高校生に勉強せないかぬ科目だと。

 例えばこの、今もう社会科なんてなくなって地理歴史科と公民科になっていますけれども、これもその世界史はどっちか必修だと。日本史A・B、地理A・Bの中から一つということになっています。公民もややこしくて、現代社会二単位だけれども、現代社会二単位又は倫理、政経の四単位がどちらかが必修だと。数学も、数学基礎と数学Tに分けてどっちか必修。理科も、理科基礎か理科の総合のA、Bどっちかが必修と横に小さい字で書いてありますけど。

 それで、難しい進学校じゃない方の高校の話ですけど、いろんな言い方がございます、学力困難校等とかございますが、そこでは例えば数学基礎というのがあると。数学基礎というのは何をやるんですかと。これは指導要領を読んでも、理科基礎もそうなんですけど、これはもう中学の内容ということだというふうに私は理解したんですけどね。

 これはどういうことかというと、要するに、中学というのは別に単位制じゃありませんから、九年終わったら出ていかないかぬわけですね、どれだけマスターしたか問われないままに。特に、数学とか理科はもう五年生ぐらいからちょっとずつ分からぬと分からなくなってきて、中学三年になったらもう全然分からないと。そんな状態で、だけど高校には行くと、今高校にほとんど行くわけですから。そういう人たちが学ぶ数学というとどんな数学なんですかと。数学基礎という教科書が、読み物みたいなのがありますけど、そんな教科書やるよりも、もう一回中学の数学をしっかりやった方がそういう学力困難校にとっては身に付いた数学ができると。これは現場の先生の意見です、数学の先生の。数学基礎みたいなの無理やり作ってやるものだから、余計やりにくくてしゃあないと。そこに書いてあることなんていうのは本当にもう、場合によったら学習指導要領の中学の内容の方が難しい、言葉的に難しいことが書いてあると。数学基礎に書いてある高校の数学基礎よりも、学習指導要領の言葉は中学の学習指導要領の数学の方が難しいことが書いてあるわけですよ。そんなふうにしてこれ多様化する中で必修を決めているわけですね。

 そうすると、僕はそのすべての高校生に、それが必履修科目やと思いますけど、これは非常に丁寧に議論しないと、もうほとんどの子供が高校に行くわけですから、物すごい多様化する中で、じゃ必履修科目って一体、その中身と科目、教科の設定はどうあるべきなのかという議論はこれはやっぱり丁寧にやらないと、集まって議論する人たちは本当に現場のこと分かって、それは御本人の感覚は三十年ほど前の高等学校の実態を思い描きながら議論しているんじゃないのかなということを感じ、襲われるぐらいでございます。中教審の教育課程分科会の中のその議論ですけど、今そういう議論されているとは思うんですけれども。

 僕は、だから高等学校、全入がほとんどの、九七・何%の子供たちが全部高校に行く中で、必履修科目の在り方というようなことは丁寧に慎重でないと物すごい複雑なことになってしまっている。これ、多様化そのものを表現しているわけですよ。一体必履修ってどういうことなんだということはやっぱり問われるし、高校教育って一体何なんですかと。

 そこで、もう二点大臣に質問したいんですけどね。この一覧表にある、これ数学TというのはU、VがあってTなんで、数学基礎というのはもうこれ勉強したらもうつながらない、これで終わりということやと思いますけど。そういうことも含めて、必履修科目というのは、これはすべての高校生が学ぶべき教育内容って一体何かということを現場の実態もよく踏まえた丁寧な議論をしないと、今、世界史だけじゃ駄目だと、日本史も必修にせいという意見があるそうですけど、そうしたら地理はもういいんですねという、増やす話やから余計これはね、それはいろいろ背景はあるとは思いますけど、これはちょっと丁寧な議論をする必要があると思います。これが一点です。

 もう一点は、高等学校においては普通教育と専門教育行うことになっていると思うんですけど、高等学校における普通教育というのは、これは憲法の二十六条とも、また教育基本法にも、その普通教育というのはこれはすべての国民が義務化されている内容ですのでね、高等学校における普通教育の在り方、この二点をちょっと御質問したいなと思います。


○国務大臣(伊吹文明君) なかなか難しい御質問なんですが、やはり先生は中学校の、高等学校との関連で中学校のことについても言及をされましたが、中学校についてはもうこれは御承知のように義務教育になっておりますし、初中合わせて約、国、地方合わせて十兆円の国民負担を投入して行われております。したがって、高等学校、普通教育である高等学校も含めて、これはやはりその学校の、卒業すればここまでの基準は満たしておいてもらいたいということを文部科学省として国民のためにお願いをしている基準、これを示しているわけですが、それがどこまで到達度があるか、習熟度があるかということの認定権は校長にゆだねられているわけですね。

 ですから、二つやり方があると思うんですが、御党の松あきら先生でしたか、御質問になったように、英国のように、かなり自由にやらせるけれども、その代わり、国として必修、今言われている必修科目についての、何を勉強していても、どういう形で、先生がおっしゃったように、対面教授方式じゃ、受講方式じゃなくても構わないけれども、必ず卒業資格を与えるための到達度というのを統一的に調べるというやり方と、日本のように、教えることを決めておいて、個々の到達度の認定は学校長にゆだねているというやり方と、どちらかだと思うんですよ。どちらもしなくていいということは、これはちょっと国民の税金を使っている立場からは、はい、そうですかというのはちょっと申し上げにくいと思います。

 ですから、高等学校の普通教育の在り方も、極端なことを言えば、必修科目と言われているものに大学入試センター試験を適用して、大学入試センターですべての習熟度をチェックしてもらうと。あとは大学の入試は、言うならば、それを参考にしながら大学独自の入学試験はなくするというような考えだってあるわけですよ。

 だから、いろいろな考え方がありますので、これは今のやり方がある程度国民間に定着しておりますから、少し国民の意見も伺って、先生のような斬新な御提案がどうかということもちょっと検討させていただきたいと思います。


○山下栄一君 今、学習指導要領の見直しが始まっていますので、それにちょっとかかわっていく話なので、問題提起させていただきました。

 高校における普通教育の方の話にもうちょっと。
 今、普通科、専門科、総合学科。八割は普通科なんですね。これは僕はもう全然時代に合っていない。普通科が八割ということは、ほとんどの高校生が普通科行くと。普通科というのは基本的に上の学校に行くことを前提として、形式的にはそうなんですけど、実態は全然そうじゃないという。大半の子供たちが、就職自身もはっきり、ほとんど体験学習もしないままに、普通科は何となく進学というイメージなんだけれども、実態はもうとてもじゃないけどそんな学力まで身に付かないと。御本人も期待していないと。名前は普通科だというふうなことになってしまっているわけです。ほとんどの高校は普通科だと。

 僕はもっと専門科。専門科って、ここに書いてございますように、農業、工業、商業、水産、家庭、看護、情報、福祉。理数というのもあります。体育、音楽、美術。体育高校というのも、体育科の学校もありますけど、美術の学校、これ美術高校じゃないのに美術という。音楽、美術、英語と。これをもっと多様化していって、義務教育を補うようなそういう、名前を高校と名付けても構わないけれども、それは普通科じゃないでしょうというふうな、普通科でない部分をもっと多様化していって、普通科はもう半分ぐらいというふうな、もっと分かりやすくて元気が出るようなそういうセットの仕方というのもあるのではないかなというふうに。総合学科というのはもうこれまた難しい面がございますけど。

 いずれにしても、高校の普通科というのはもう時代に全く合わないままで、ほとんど職業教育もされないままに何となく出るものだからフリーター、ニートにつながっていく、そういうことを感じまして、これは、高校における職業教育の在り方はちょっと時間の都合でできませんけれども、この普通科ということを抜本的に見直すことを、文部省というよりもこれはもう県だと思いますけど、もう県でもいろんな、苦しみながら、不登校対応とか中退対応で単位制とかいろんなこと考えていますけど、考えざるを得ない、追い込まれているわけで、それはもう高校教育とは一体何なんですかということをもう一遍元へ戻って、ほとんどの子供たちが行く高校のあるべき姿みたいなものを継ぎはぎで、今までの高校の延長上で今日があるという考え方ではもたないほど今は多様化し、抜本的なセットの仕方を求められている。これはもう国でも提案すべきだと思います。私は、もっと県が悩めと、設置者なんだからというように思います。

 それで、もう時間の都合で最後、一点だけ。学習指導要領ですけれども、私は、学習指導要領は大臣告示になっているんですけど、大臣告示は法令で、法律の一番最末端のルールですから、守らなかったら何かこう、もろ責任問われるわけですね。だけど、私は、文部科学省は、初中局は責任本当に担えるのかと、全国のそんな三百何万の高校の。担えないと私は思います。そういう意味で先ほど申し上げたんですけどね。

 単位の修得、卒業の認定はもう高等、個々の校長の先生に任されているんだから、一挙に、私は、学習指導要領というのは、法的拘束性が今はあるけれども、それを参照基準、メニューにして、それは現場でもう決めて結構ですというふうにしてあげたら、それを中途半端な状態に置いておくから苦しみ、両方から責められて、責任持って決断もできない、上ばっかり見ていると。本来は生徒と保護者の方に向かって教育すべき校長先生が上ばっかり見ながらやらぬもんだから、そういうピラミッド型の官僚、教育行政のそういう縛りがあって、だから思い切って、私は、もうちょっと近いところで権限を与えてしまって、どうせ責任を文部省取れないと、今日はもう、ちょっといろいろ今回の文部省の対応も、今までも対応すべきところをやってこなかった面もあるわけですから分かるはずがないと思うんです、そんなもの、実態まで。

 だから、やっぱりそういうことを真剣に考える時期に来ていると。大学は全くフリーだと。小中は、それは義務教育、責任があるから、国の責任もあると。高校というのはその段階でどうあるべきかと。同じように、小中と同じように法的拘束力というのを突き付けるのかと。突き付けたら活性化しないと、学校は。生き生きとした創意工夫なんて出てこないというように私は、(発言する者あり)私は、いや、民主党と違うんですけど。いや、それは今日はちょっと時間の都合で言えませんけれども、高等学校の学習指導の在り方は見直さないと、この未履修問題というのは本当に解決したことにならぬと。それと必履修科目の在り方を検討すべき、そんなことをこの問題を通して感じている次第でございまして、最後、一言、大臣にお話聞いて、今日は私、五時までに終われいうことですので、質問を終わりたいと思います。


○国務大臣(伊吹文明君) 高等学校における普通教育、それから専門教育、それからいわゆる専門学校ですね、職業学校、これをどういうふうに組み合わせていくかというのは大切な御提言だと思いますが、一番大切なのは、地方が悩んだり文科省がどうするかということじゃないんですよ。これはやっぱり国民が大学進学を希望して、そしていい就職先を希望したいと、それのために大学が一番いいという感覚をむしろ払拭していただかないと、先生がおっしゃっているところへ行くのはなかなかやっぱり難しい部分がある。

 だけど、専門学校に行っている子供の方が本当は生き生きしているという御指摘もたくさんありますから、今おっしゃったことと、それから特に高等学校の学習指導要領の在り方等も、先ほど申し上げたように、どこかでしかし到達度、習熟度は判断をしてもらわねばなりませんので、そのことと併せて今の先生の御意見は一つのお説だと受け止めさせていただきたいと思います。


○山下栄一君 どうもありがとうございました。

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