Home プロフィール 主な政策提言 国会質問 活動レポート 市民相談コーナー 情報BOX リンク集 事務所案内 ご意見

国会質問

142国会 文教・科学委員会会議録 1998年03月12日

○山下栄一君 公明の山下でございます。
 限られた時間でございますけれども、私は一つだけきょうは御質問したい、問題提起を行いたいと思っております。
 文部大臣、先ほど萱野委員の御質問の関係の中で、戦後五十年過ぎまして学校教育の制度的疲労という、六三三四制の見直しという観点でお話しされたわけでございますけれども、私は、もちろん戦後の教育の制度疲労という問題、もっと言えば明治以降の学制、一八七二年以降百二十五年以上過ぎているわけです、百年以上たっているわけですけれども、もう一度、教育の使命、教育の役割、人類にとって本当にとうとい仕事である人を育てるということを、家庭教育、学校教育、地域教育、いろいろな観点があると思いますけれども、教育そのものの使命、役割というのをやっぱり国民的な議論の中で知恵を出し合う必要性があるのではないかなと。
 学校依存主義、学校至上主義というのが特に明治以降色濃く来たのではないか、これが今大きく問われている。学校完全五日制ということもありますけれども、中教審で家庭教育のことをお考えになるのも結構ですけれども、そういう一部の偉い人で話し合うということじゃなくて、今はもう公務員教育が問われているということだと思うんですけれども、現場に根差した、その悩みの中から知恵を出し合うということがもう今本当に大事だなということを感じております。

 それで、十代の青少年の凶悪事件が激増している。別にナイフだけじゃございませんで、強盗、殺人、殺傷、そういうことがこの数年言われ続けてきております。薬物汚染の問題、これも一昨年から私何度か取り上げました。教室が覚せい剤の販売場所になっている。もう異常な事態である。すべての県で小学生も含めて補導され逮捕されている。校内暴力も激増している。不登校、いじめ、先ほども数字があったとおりです。高校中退者も、先日の統計にもあらわれたとおり十一万人を超えたと。
 ナイフを使った事件は、学校の中で中学一年の男の子が学校の先生を殺してしまったということから衝撃的にえらい問題になっていますけれども、実は去年、おととしだけでも、平成八年、九年の二年間で中学生、高校生がかかわったナイフの事件というのは百三十件以上ある。これは新聞報道によるものだけでございます。それ以外にもというようなことを考えていくと、別に突然ナイフの事件が始まったのではない。

 私は、自分の経験からですけれども、うちにも中学生の子供がおりますけれども、中学生、高校生になってくると、大人と中学生、高校生の対話が物すごく成立しにくい。幼稚園、小学校、そのころは一生懸命親もかかわりますけれども、中学、特に二年ぐらいからになるとかかわれない、対話が成立しない。対話があるときはどんな形で対話するかというと、つじ切り的対話と僕は言うんですけれども、学校の中でもそういうことがあるかもわかりません。目と目を見詰め合いながら話をするというようなことは本当にやりにくい。すれ違いざまに激しい言葉を親が、先生が切りつけるがごとく指摘してがっと言う。それは言葉の暴力として傷を負って生徒が去っていくというふうな、そういうふうなこともよくあるわけです。ナイフを使ってはいないけれども、ナイフと同じように心に傷を与えている。

 大人と中学生、高校生の対話が本当に難しい年代、それは別に最近に始まったことではないかもわかりません。ルソーが言っている言葉では、熱病にうなされたライオンというのが十代の心の状況だと。だから、物すごく大人から見ると扱いにくくなっているけれども、だけれどもそこが勝負である、そのときの接し方いかんによって生涯に残る出会いがあり教育もできるんだという。だから、おとなしい子とか寄ってくる子を育てることは簡単ですけれども、反抗、敵対意識むき出しで襲いかかってくるような形の、そこに本当は教育のだいご味があるんだという観点でなかなか教育がされないというふうな実情がある。問題児こそ教育の技術の見せどころであるという、そのよう
な意気込みみたいなものが親も教師も本当に問われているなというふうに私は思うわけです。
 だから、余り実態がわからないままに、ナイフを持ってくる子がふえていると。持ち物検査というふうな、もちろんそういう緊急対応も必要なわけですけれども、新聞も書き立てるし文部省も何かせないかぬというふうなことになってくるんでしょうけれども、私たちはそんなことを要求しているんじゃないよと子供は必死で訴えているというふうに私には感じられるんです。大人と中学生、高校生、十代の子供たちのずれがどんどん深くなってきているんではないかなということを感じております。

 僕は、大人が連帯をするということが物すごく必要な時期だなと。先ほど小野先生もおっしゃっていましたけれども、先生も悩んでいる、登校拒否になるぐらい悩んでいる。親も悩んでいる、悩んでいるけれども連帯していない。それぞれが悩みを抱えて、中学生ぐらいになると参観日にも行かなくなってお任せという感じになってしまって、だけれども家でも対話できていないという状況になっているのではないか。
 学校において先生の前で見せる顔、そして友達の前で見せる顔、お父さんお母さんの前で見せる顔、全部違う。私自身も教師をしていましたので、教室に四十人おりますと、自分と相性が合う子供というのは四十人もおったら五、六人しかいない。そのほかの子供たちはなかなか心の中には入り切れない。なつく子供はおるけれども、全然合わない子供がいる。家庭訪問すると、その中学生が近所の小学生に慕われていたり、学校とは全然違う姿を見せる場合がある。お父さんお母さんと、弟、妹と話すと今度はまた違うというふうなことから、学校の中だけで見せる顔で判断すると大変なことになるというようなことを私自身も感じた経験があるんです。
 要するに、余りよく実態がわからないままに手を打つと管理型の対応になってしまう、これが僕は非常にまずいのではないかなという気持ちを物すごく持っております。
 大人の連帯の必要性ということを、先ほど文部大臣は一橋中学の教員の連帯の話がありました。この教員の連帯も非常に難しい世界だと思いますけれども、物すごく大事である。だけれども、お父さんお母さんと先生方の連帯、これが特に中学生、高校生は大事だけれども、学校に出かけて先生と話し合う機会はほとんどない。進路相談、問題が起きたときに呼び出されて、取り締まり的観点から先生が警察官の顔に見えて、御指導賜るというようなことがあるかもわからない。だから、連帯が非常にやりにくい中学、高校生の段階ではないかなと。
 先生も悩み、親も悩んでいるんだから、悩みの連帯、悩みを共有する中から知恵が出てくる。それが現場の知恵だ、そこから解決の糸口が見えてくるのではないかと。もちろんそこに子供たちも入っていったらいいと思いますけれども、まず保護者と学校の先生との連帯、それが物すごく大事な年代が中学生、高校生ではないかな、こういうことを感じておりますけれども、それについての大臣のお考えをお聞きしたい。

○国務大臣(町村信孝君) 山下委員、教育者としての御経験に基づく貴重な御提言、お話をいただきまして、どうもありがとうございました。
 確かにいろいろな状況があり。その中で何が本当の原因かは必ずしもよくわからない、千差万別なのかもしれない、また共通点があるのかもしれません。ただ、とにかく学校にナイフを持ち込んではいけないとか、あるいは命の大切さをしっかり認識してもらうとか、これはもうどういう状況の変化があろうとも、やっぱりだめなものはだめということをはっきりさせておく必要があるのではないかということで、もちろん今後さまざまな分析なり研究なりが必要だと思いますが、その結果が何年後か出て、その間何もしないというわけにはやっぱりいかないだろうという意味から、とりあえずのこととして私どももいろいろな対策を講じさせていただいているところでございますので、それでもってすべて終わり、よしとしているわけじゃないということはぜひ御理解を賜りたいと思います。
 今、大人の連帯というお話の中から、特に先生と親の連帯の御指摘をいただきました。まことにもっともだなと思います。PTA、ペアレント・アンど・ティーチャーズ・アソシエーションですか、要するにペアレンツ・アンド・ティーチャーというのはもともとそういう意味では一体のものとしてそういう会までできたりしていたはずなのでありますが、私もそう詳しいことは知りませんが、断片情報で間違っているかもしれませんが、ややもすると今のペアレンツ、親の方が集まって、学校の言うなら下請機関化しているような面があったり、下手をすると親御さんたちの遊びの機会になってしまったりとか、どうもいい意味での先生と親との緊張感といいましょうか、いい関係が必ずしも築けていないなという御指摘は私もそのとおりだと思います。
 十分な情報提供をしながら、まさに教育の対象となっている自分のまず子供について、十分な情報公開に基づいてどうしようかという対応の仕方が相談されてしかるべきだし、また学校全体としても、先生方全体、個々の親御さんたちが集まって、単なる先生の言うならば下請機関ではなくて、建設的な意見を言う、こういう学校運営にしたらどうだろうか。これもまた行き過ぎるとひどい今度は圧力機関になってしまってという面もありますから、あくまでもそこにはバランスというものが必要だろうと思います。
 ですから、ちょっと長いお話で恐縮でございますけれども、できるだけ連携を図れるように、夜PTAをやるとか、あるいは休日に学校外で公民館や何かを使ってやるとか、いろいろな工夫が既に行われているようでございますが、そうしたことによってより意思疎通が図られ、そして大人同士の連帯がうまく図られるようなことはこれからも大いに努力をしていかなければならないことであろうと、こう思っております。

○山下栄一君 緊急的な対応としてナイフを持ってくるのはだめだということは、もちろんそういうことも必要だと思いますけれども、もう一方で、中教審の方で議論をされているわけです。僕は、現場に根差した議論が大事だ、なかなかそれが起こってこない背景があると思っているんです。

 それは、学校教育の中でお父さんお母さんの位置づけが、影が薄い。学校に入ってしまうともう先生と親は対等じゃないというふうな、本来、親の信託を受けて学校教育があるはずなんですけれども。僕は、明治以降の日本の学校教青というのは戦後も余り変わっていなくて、学校至上主義、学校依存主義、親の問題もあるかもわからないけれども、学校教育の中における親の位置づけが法的にも不明確だということが大きな背景にあるのではないかということ。だから、人質にとられてしまうような感じになってしまって、評価をされても文句を言えないというふうなことが非常に強くあるのでなかなか連帯しにくい環境にあるのではないか。学校教育における親の位置づけを法的に学校教育法の中で明文化したらどうかなと、学校教育参加権みたいなものを。そういうことを私は思っております。

 要するに、学校教育における保護者の、父母の位置づけが不明確であるということが、連帯が非常にしにくい背景にあるのではないかということについての御意見をお伺いして、終わりたいと思います。

○国務大臣(町村信孝君) もちろん憲法には、それぞれ親が子供に教育を受けさせる義務もあるし、また権利もあると、こういうことになっておりますが、私もちょっと不勉強で、学校教育法にどこまでそれが明文化されているか、多分余りないんだろうと思っております。
 法律上の位置づけもさることながら、要するに実質的にどういう役割をPTAなりあるいは親の、父母会とでもいうんでしょうか、それが果たしていったらいいかということに関して十分な議論なり反省なりが行われているかというと、確かに委員御指摘のようにそこはいささか不十分な面もあるのかなと思っておりまして、一つの重要な問題提起として受けとめさせていただき、今後の文教行政の中でしっかりと考えさせていただき、また先生のお知恵もおかりをしながら、いい行政ができるように、いい学校運営ができるように、そしてよりよい教育ができるように御指導賜ればと思っております。

○山下栄一君 どうもありがとうございました。

ご意見はこちらまで
(c)2002 Yamashita Eiichi Office All rights reserved.