145国会 行財政改革・税制等に関する特別委員会会議録 1999年07月07日
○山下栄一君 公明党の山下でございます。どうぞよろしくお願いいたします。限られた時間ですので、簡潔に質問させていただきたいと思います。
まず最初に、磯村市長にお聞きしたいんですけれども、二十一世紀を目前にして、日本の経済、そして教育、政治そのものもそうですけれども、とにかくもう閉塞状況で全く先が見えてこない。先送り型政治、前例踏襲型の行政、完全に行き詰まっている。この構造改革のためにかぎを握るのは、私は、この地方分権の推進、もう一つは情報公開の徹底というふうに今感じているわけです。
今回の地方分権一括法案、地方分権推進委員会、またその前は地方制度調査会と行政改革会議、さまざまなところで議論を積み重ねた上で、今回五百近い法改正を伴う一括法案の提示、こうなっているわけですけれども、中身が結局どれだけ改革の方に進んだのかという観点から見ると、非常に厳しい評価をせざるを得ないという状況にあるのではないかと思います。国と地方は対等の、また協力の関係と言い、また明治以来の機関委任事務を廃止されるということを考えますと、非常に大胆な思い切った地方分権かな、このように感じるわけですけれども、まさに竜頭蛇尾そのものではないかと思うわけです。
磯村市長の一括法案の評価は、第一歩を踏み出したというふうに評価をされているわけですけれども、明治以来の国家目標、例えば富国強兵とか、戦後であるならば貿易立国というふうな国家目標がまず前提にあった時期はなかなか地方分権は難しい状況にあった。もう一つは、実際、自治権を地方にゆだねても力不足である、人もおらないという状況であったかもわからないけれども、時代は完全に変わっている。かえって国の介入で、先ほど市長もおっしゃっているように、地方の独自性を失うどころか国全体そのものの発展、成長をとめているという現実があるのではないかというふうに思うわけです。
そういう観点から、今回の地方分権一括法案を、日本の明治以来の国と地方の関係を総括してお考えをお聞きできたらというふうに思っております。
○公述人(磯村隆文君) 私は、今回の地方分権一括法案について評価はいたしておるわけでございますし、この方向をもっとうまく進めていただきたいというのが本音でございまして、そのためには、財源配分と規制緩和というものが三点セットにならないと亡国の地方分権になりますよと申し上げたわけでございます。
なぜ今地方分権が大事なのかという根本的な議論でございますが、よく言われているのは、日本の経済が異質なので外国と同じようなことをやれ、特にアメリカ型のグローバルスタンダードというんですが、私は経済の専門家ですからいろんな事例を考えて、例え話で恐縮なんですが言わせていただきましたら、例えば、鳥が自分のテリトリーを持っていまして、そこでえさをとっていて、そこで生存競争をやってふえていく鳥もありますし、渡り鳥になりまして群れになってえさ場を移動していくという鳥の群れがありまして、これは長い進化の過程でそうすることが自分たちに一番適していると思ってやってきたことなのであります。
この渡り鳥の集団というのを考えてみますと、渡りをするときには、先頭が一番風を受けますから先頭に一番強い鳥が立つんです。それで、疲れると交代しているそうです。弱い鳥には周りがそばへ行って風を起こして楽に飛べるようにしながら集団で飛ぶという、言ってみれば護送船団方式ですが、日本は大体この方式をやって高度成長をやったわけです。つまり、えさ場えさ場へうまく移動していったわけです。
ところが、今回の不況は、とにかくあるえさ場に座ったんですが、座ったところが余りよくなかったわけです。昔のとおりに来たんですけれども、余りよくなかった。だから、みんなが全部困っちゃっているという状態なんです。こういうときには、渡り鳥の群れというのは強力な鳥が何羽かが飛び立って後を引きずるんです、ある程度は全体が体力がつかないとだめですけれども。何羽かが飛び立って、とにかく強いやつが引っ張るんです。疲れてきたらまたかわっていくというやり方で群れを維持するんですが、私は今の日本経済というのはそういう状況ではないだろうかと思っています。
地方分権と言っていますのは、まず全体の羽を休めて、とにかく不況が終わるまで頑張りましょう、しかしその中で、次のいい場所へ、次の新しい状況に適合するためには適合力の強いものを先に飛ばさないと後の群れは立ち上がりません、そのまま沈没するだけですから。そういう意味で、地方分権というのは、とにかく群れをいかに新しい局面に連れていくかというために避けられない状態で起こっているわけですから、ただ、地方分権ですよ、皆さんこういう法律をつくりました、どうぞと言ったのでは、今言っていますように沈滞している渡り鳥の群れを奮い起こすことにならないわけなので、だから、地方分権の本来のあるべき姿というのはそうではありませんかということを先ほどからるる申し上げて、私どもの事情を申し上げたわけでございます。
○山下栄一君 大都市制度という新たな考え方で思い切った裁量権を与える仕組みをつくることができればというふうなお話がたしかあったというふうに思うわけです。私も、先ほどの昼と夜の人口のお話をお伺いしながら、欧米では直轄市といいますか、そういう考え方があって非常に自由な裁量権を与えている、そういう仕組みがあるように思うんですけれども、大阪市を初めとして大きな人口を抱えている大都市には、新しい地方分権、思い切った裁量権を与える、場合によっては独自の地方税源、もっと言えば、お金の発行権まで行くのは難しいかもわからぬけれども、そういうふうな仕組みが必要ではないかなということをお聞きしながら感じたわけです。
特に磯村市長の方から、新たな特別市構想といいますか、そういう観点から、このような中身の裁量権が欲しいというふうな具体的なことがございましたら、お伺いできればというふうに思います。
○公述人(磯村隆文君) 今回の指定都市への権限移譲項目というのがずっとありまして、それは本当に意味のあることだというふうに私も思っておるのでございます。しかし、先ほどから申しておりますように、大都市圏にある程度のエネルギーを与えて群れをリードさせようと思うのだったら、大都市圏にもう少し独自の企画力と実行力を持たせた方がいいんじゃないかと思います。
例えば、大阪市を例にとりますと、我々は国際集客都市構想というのでこの十数年来いろいろな施設をつくって、乏しい財政なんですがいろいろやりくりをしたり第三セクターをつくったりしながらやってきて、おかげさまで、集客力が我々の関連する施設だけをとってみましても、平成五年から九年までに三倍にふえたというようなデータがあるぐらいでして、とにかくある一定の目標を持って、その町の特色を生かして、そしてそれを積極的に実行するという体制が整えば、これは経済学では比較優位と言うんですが、比較優位を持っている分野に進んでいけば、大都市それぞれが、これは中都市もいけると思いますが、自分の力でいろんなことがやれると思うんです。
要するに、一部先進的な都市のアイデアを国が参考にされて、それを一律に法案化して全部やりなさいと言っていたのでは意味がありませんので、それぞれの都市に、例えば都市計画なんというものは、手続的には先ほど言いましたように府県の認可とかなんとか残っておりますし、国の認可も残っているんですが、そういうようなものはもう少し思い切って大都市に独自にやらせて届け出制にするとか、こういうことをやりますのでよろしくということで済むとかということの方が、だから、手続の問題で認可にするか届け出にするかということよりも、もっと大都市の自主性を認めた思い切った自由度を与えた方がよくはないのですかというのが私の本意であります。法律のつくり方はいろいろあると思いますけれども、具体的には、特別市にすればいいのか、あるいは今のままでもいいからもっと自由度を与えるように規制緩和をやればいいのか、その辺のことはまたいろいろ専門家の御意見を伺いたいと思いますが、要は、もっと自由度を与えていただきたいということに尽きます。
○山下栄一君 今の話に関連して、地方への権限移譲の中身なんですけれども、企画立案、調整、実施、一貫した権限移譲というのが、非常にたくさん法律はあるけれどもほとんどないというのが今回の地方分権一括法案ではないかなというふうに思っておるわけです。今おっしゃったこの企画立案を含めた一括した権限移譲というあり方をこれからやはり具体的に立法府としても提案していかにゃいかぬなと、今お話を聞きながら感じました。
阿部教授にお伺いしますけれども、先ほどお話の中で事務概念の混乱というお話がございました。法案では、地方自治法第二条第二項の改正の話ですけれども、地域における事務、これは非常に私はあいまいな表現であろうというふうに思っておるわけです。
自治事務というのは地域固有の事務なのかというと、法定受託事務以外の事務なんだという非常にあいまいなことになってしまった。私は、昭和二十三年の地方自治法改正の精神というのは、国の事務はこれこれですよ、そして残りは基本的に自己決定権のある地方自治体の仕事なんですよと、こういうことを指向していたのではないかというふうに感じておるわけです。この昭和二十三年の自治法改正の中で国の事務というのが具体的に書いてあったわけですけれども、今回の法改正でそれが削除されてしまったんです。
これも質問通告しておりませんのでちょっとあれかもわかりませんけれども、こういう国の事務を具体的に書いてあった規定を削除してしまったということは非常に私は問題ではないかなと感じているんですけれども、この点についての御所見をお伺いしたいというふうに思います。
○公述人(阿部泰隆君) 国の事務の概念はなくなりましたが、もともとも、国と地方それぞれ事務の概念はあったけれども、あれじゃ足りない、解釈で追加するなんと言っていたんですね、多分、通貨というのはそうでしたし。それで、今は国と地方の役割分担というのでここは一応規定してあると考えればよいのではないかと思います。
○山下栄一君 市長、もう一度最後にお願いしたいんです。
私は、国会議員にさせていただいて七年、東京に開会中は単身赴任しておるわけですけれども、東京へ行ってまさに一極集中という言葉はそのとおりだなということを感じまして、大阪の新聞に一般紙も含めて書いてあることと、東京で見る新聞の内容が一面から全然違う。まさに大阪というのは田舎の一つなんだという、そういうとらえ方が東京ではされているということを非常に感じました。
先ほどちょっと触れられました国際集客都市構想というのは、非常に私は重要な構想ではないかなというふうに思っておりまして、この地方公聴会が大阪市内、おひざ元で行われていることを機会に、大阪市のオリンピックの二〇〇八年のこともございますし、きょうお見えの全国選出の国会議員の前で、大阪の国際集客都市構想を初めとしての宣伝をちょっとしていただいたらどうかなというふうに思いまして、最後、済みません、よろしくお願いいたします。
○公述人(磯村隆文君) 貴重な時間をいただいてPRしろというお話でございますが、簡単に申し上げますと、実は大阪という町は、第一次世界大戦までは日本資本主義を引っ張っていた鳥なんです。第二次世界大戦で統制経済になった段階で権限が全部東京へ移ります。それまでは、東京は政治の町、大阪が経済の町、ワシントンとニューヨークのような関係だったんですが、戦争で統制経済になって権限が東京へ移ります。
戦後は、管理貿易時代ですから、戦前よりもある意味では厳しい形で、もっと自由度があったところまで東京へ移っていきます。結局、総合商社が移り、銀行が移り、証券が移りというわけで、大阪が持っていた中枢管理機能がほとんど東京へ移ってしまうということになります。
大阪は戦後の高度成長期に何をやったかといいますと、主に海岸を埋めてコンビナートをつくりました。これは素材産業でございます。重厚長大産業をつくったわけです。ところが、昭和四十八年のオイルショックで重厚長大産業が立ち行かなくなりました。ですから、戦争中から戦後にかけて大阪の町が一変して重化学工業に頼るようになり、その重化学工業がオイルショックでだめになって、昭和五十年代のころはもうお先真っ暗でございました。もう大阪という町が完全に沈滞するのではないかと思ったわけでございます。
そのときに、まだ私、そのころは大学にいたんですが、何人かが集まって必死になって議論して、だんだんその輪が広がっていきまして、産業構造転換というのを積極的にやろう、国の今の制度のもとでどこまでやれるかわからないけれどもとにかくやってみようということで、我々が思いついたのは、とにかく昔のように大阪に人が集まるようにしよう、人が集まってきて初めていろんなことがビジネスチャンスとして生まれてくるはずだと。もう重厚長大産業を大都市でやっている時代ではないし、工場等制限法でそういうことはもうできなくなったわけですから、逃げ道はただ一つというので、実はそのときはそういう言葉ではありませんが、要するに花博をやろうとか、あるいは海遊館のように、ほかにないものをつくって人が集まってくれるようにしようとか、アジア太平洋トレードセンター、ワールドトレードセンターのような、国際経済機能を持っているものだけれども、できるだけ人が集まってくれるようなものをつくろうということでベイエリアの開発をやりました。
それが今やっと緒につきまして、先ほども申し上げましたように、そういう関連の施設の集客力が、平成五年のころには一年間に、我々の関係するところだけで民間は別なんですが、ほぼ一千万人の人が集まっていたんですが、この不況の最中の平成九年でも三千万人の人が集まるようになりました。
だから、そういうことが成功しているわけで、例えばユニバーサル・スタジオも間もなくできることになりますが、そういう集客都市が完全にできますと、大阪にいろんな人が集まってくる。そうしたら、大阪はいろんな資材を日本全土から買わねばならない。日本全土にまた人が行かねばならない。そして、外国からもたくさん人が来るでしょうから、いろんな形で、近畿圏はもちろんですが、経済に対してプラスの影響を与えるだろうという積極的な意味で国際集客都市構想と言っておりまして、その延長線上で、二〇〇八年ならオリンピックを呼んでも不都合ではないな、もしオリンピックを大阪でやることができれば日本に対してもう一度新しい注目を集めることになるし、東南アジアの人がどっと日本へ来てくれるだろう、大阪はその先駆けになるためにもオリンピックを呼びたい、こういう姿勢でやっております。
ありがとうございました、PRさせていただきまして。
○山下栄一君 時間が超過しまして、済みません。
○山下栄一君 初めに、独立行政法人の問題でお聞きしたいと思うんです。
今、最後の方で山本先生がおっしゃったことにもかかわってくるかもわかりませんけれども、独立行政法人は何のためにこういう制度を導入するのかという、この辺がイギリスの場合と日本の場合、動機のところでちょっと違うと。これが独立行政法人という制度を導入してどれだけ期待できるかという、非常に暗いなということにつながってくるのではないかなと思うわけです。
やはり、官、行政の存在意義といいますか、国民の側に立って行政というのは何をなし得るのかという観点から行政の存在意義が問われておるわけです。そういう観点から、イギリスの場合、民営化と効率性、そしてサービスの質の向上という、それを厳しくするための一つの制度化として独立行政法人というのがあったのではないかと。ところが、日本の場合はそういう観点もないことはないけれども、基本的にはやっぱり行政のスリム化といいますか、人員削減といいますか、そういう観点からの独立行政法人論議というのが先行している。したがって、何のための導入かということがあいまいにされたまま制度化されようとしていることが大きな問題点ではないかなというふうに思うわけです。
そこで、独立行政法人通則法ですけれども、ここに先ほど山本先生がおっしゃった、今も少しおっしゃいましたけれども、財源、予算の問題、そして評価基準の基準そのものを示すとか、また、どういう場合に独立行政法人というのは民営化の決断をし、廃止の決断をするかという決定基準、また、この法人そのものの解散に関する規定、これらのものまできちっと書き込まないと、独立行政法人の国民の側に立った機能というのはやっぱり期待できないのではないか、このように感じるわけですけれども、この点の御所見をお伺いしたいと思います。
○公述人(山本清君) まず、日本におきます独立行政法人の本音はどこにあるかということを私が思いますには、要するに今回の独立行政法人の定員というのは総定員法の枠外になるわけですね。形式的には国家公務員であろうと思うんです。そうしますと、独立行政法人化に移行するということは、形式的にはいわゆる法定定員が非常に減ることになる。すなわち、小渕総理大臣がおっしゃっているような公約をなるべく達成するためには、なるたけ独立行政法人化に移行した方が公約を守れると、こういった非常に政治学的な力学が働いているということで、そこをまず押さえておく必要があると思います。
それは非常にリストラ論としてはある意味では正論なところもあるんですが、国民の立場からすれば、何も実質的には変わらないというおそれが非常に強いわけですね。そうすると、むしろ重要なのは、独立行政法人の管理運営において、特に先ほど来組合の方の方からも御心配の声がありましたとおり、いわゆる効率化ということ一方を求めてサービスの質がなおざりになるのではないかという、多分そういう国民の素朴な不安感があるんだろうと思うんです。したがって、そういった不安感をなくす。
しかも、イギリスにおけるエージェンシーは、当初は確かに労働党の方も反対していたんですが最終的には労働党の方も認めたわけですね。そして、組合の方もかなり当初は反対をしておったんですが、これは我々のいわゆる専門職としての職務満足度はまだ低い段階なんですが、いわゆる効率化をすれば、すなわち効率化して浮かした金を今度は、その一部は国庫の方にも入るけれども、サービスの質の向上に再投資してもいいんだというようなことを実はイギリスのエージェンシーはやっているんですね。
したがって、日本における独立行政法人の構想案の中には、もし余剰金が出たら自主運用しなさいとか、あるいは一部国庫に入れなさいという非常に効率的なインセンティブを与えるためのシステムはかなりビルトインされているんですが、専門職の人の生きがいを育てる、いわゆる質に対する再投資、そういったものにも浮いた金の一部は充当してもいいんだと、そういった一つの措置がぜひとも必要であろうというふうに私は思います。それをすることによって独立行政法人に移行した職員の働きがいも出て、なおかつ国民へのサービスの質の向上も同時に果たせ得るんだといった、相矛盾するような要件をカバーできる、そういった目標が立てられるのではないかというふうに私は考えております。
それと、現行の独立行政法人は確かに直接民営化を前提にしておりませんが、私は、法案で民営化を全くしていないからといって絶対ないということを明言することもないと思うんですね。むしろ重要なことは、どこまでが官でどこまでが民というか、官と民という表現は最近よくなくて、公と私と言った方がいいらしいんですけれども、どこまでをパブリックでやるのか。それはノンプロフィットも含めたような、地域社会も含めたパブリックという意味なんですが、どこまでをパブリックでカバーし、どこまでをプライベートな個々人の責任でやるのかという切り分けの議論をやはりもう少し進めていかないと、単純にすぐこれは民営化であるとかいった判断をすることは、今の時点では非常に危険であろうというふうに私は思います。
○山下栄一君 山本先生が勤めておられた会計検査院の役割なんですけれども、この会計検査院というのは憲法が要請した機関なわけですが、私も国会へ出していただいて、参議院の決算委員会、参議院の使命は、衆議院と違うところは決算審査だというふうなことも言われ続けておるわけですけれども、なかなか審議時間も確保できないような、非常に寂しい状況になっておるわけです。
会計検査院の使命というのは、こういう行政評価とか政策評価というふうな、こういうことが議論になってくると非常にもう一度再評価といいますか、されるべき役所なのではないかというふうに私は思うわけです。
それで、御自身の経験から、例えばモニタリング評価みたいなことが中心だったと思うんですね。それがプログラム評価とかまた因果関係を明確に評価する、そのようなことが本来会計検査院に期待されているのではないかなと思いますときに、検査院法の改正も含めて、また今日導入されようとしている行政評価の仕組みの中における会計検査院の役割、また連携、この辺の問題についての御所見をお伺いしたいというふうに思います。
○公述人(山本清君) 実は、先般の国会法並びに会計検査院法の改正によりまして、現在の会計検査院は、従来の合規性あるいは正確性の検査以外に、いわゆる経済性、効率性、有効性の検査権限を明文化されたということは委員御案内のとおりでございます。
したがいまして、問題は、会計検査院がこういった政策の効果でありますとか効率について、要するに意欲というのとそれを支える国会議員の各先生方を初めとした国民各層の一つの大きな支援というのが多分必要だろうと思います。
と申しますのは、依然としてマスコミの方も含めて一般的な会計検査院に対して求めるものは、国民の血税が一銭たりともむだになっていないかというようなことを非常に求められるわけでございます。そうしますと、ある意味においては重箱の隅論的な、不適正あるいは違法、不当的な要件を一生懸命調査官は見つけてくるというふうなことにどうしても終始してくるわけでございます。したがって、会計検査院に対して政策評価を求めるということであれば、やはり国民各層の広範な御意見が、なるべくそういった違法、不当あるいは小さな単位の間違いではなくて、もっと大きなマクロな政策評価についてどんどん意見を言っていただきたい。そういった機運が盛り上がることが、会計検査院が独自にやる以外に必要であろうと思います。
それと同時に、今後会計検査院がぜひともやらなきゃいけない点は、こういった政策評価のマニュアルとかあるいはガイドラインを総務省の方でおつくりになるようでございますが、オーストラリアでありますとかイギリスでありますとかアメリカのGAO、ゼネラル・アカウンティング・オフィス等におきましては、行政庁と合同でそういうガイドラインづくりを共同作業しているわけですね。日本における会計検査院は、余りにも中立性であるとか政治的独立性を重視して、非常に外部的な関係をあえて拒否しておった、そういった機運がやや見受けられたわけでございます。これは、私が在職していた当時の感想でございます。
したがって、今後、そういった連携を高める必要があるというふうに私は思います。
○山下栄一君 あと、もう時間がないんですけれども、最後に、国立大学の独立行政法人化問題をちょっと山本先生と真渕先生にお聞きしたいんです。
平成十五年度までに独立行政法人化の結論を得るという閣議決定等があるわけですけれども、私は、評価というのは、日本の社会では職場における評価というのは非常に難しい。特に公的な部門では、実際不可能に近いような、そういう文化土壌があるのではないかなというふうに思うんです。特に難しいのは大学、特に国立大学なんという組織における評価というのがまともにできるのかなというふうな基本的な疑問があるわけです。
第三者評価機関の制度化も大学審議会等で議論されておりますけれども、私は、中途半端にやるよりも一挙に民営化するとかいう形の方が、国立大学問題というのはその方が正しいのではないかという考え方も持っておるわけです。特に国立大学においては、国際的な評価制度というところに加わるとか、提案するとかという形の方が評価の仕組みを導入するときにはいいのではないかというふうなことを感じておるわけですけれども、国立大学における独立行政法人化問題についての御所見をお二人にお聞きしたいと思います。
○公述人(真渕勝君) 私、現在公立大学に所属しておりまして、独立行政法人化についてはそれほどシリアスに今のところ受けとめてはいないのですが、研究者の業績をどう評価するかという問題です。
一番大きな問題はだれが評価するかでありまして、この点、率直に申し上げますと、役人の方々の学者に対する評価と学者の学者に対する評価というのは必ずしも一致しないというふうに思っております。その点どうするんだろうかというのはやや興味がございます。それと、学生の評価というのも、これは優を連発すれば評価は上がりますので、この点についてもそう簡単に言えるものではない。
ただ、一つあり得るのは、例えば外国のレフェリーつきのジャーナルにどのぐらい論文が載ったかというのは一つの評価のやり方ではあろうかと思うのですが、学問分野によると思いますけれども、これもまたそれぞれ学問には多少の国籍がございますから、何が重要であるかという関心の所在ですね。ですから、何もかもアメリカにゆだねてしまうというのも大変悔しゅうございますので、その点も難しいなというので、どうやって評価するんだろうなというのは心配でもありますし、興味深くもあります。
○公述人(山本清君) 非常にデリケートな問題でありまして、なかなかこういう公式の場では答えにくいんですが、少なくとも言えますことは、現行の国立学校特別会計における管理運営形態がいいとはだれも思っていない。しかし同時に、現在通則法で明らかになった、いわゆる独立行政法人の通則法をそのまま適用されるとやや問題があるんじゃないのか。それは具体的に申しますと、中期計画等について、これは所管大臣、所管省の承認を得るわけですね。そうすると、今までよりも非常にダイレクトに、定量的な目標について対文部省当局に対する指導監督がそちらから強くなるのではないか。それによって大学の自立性が失われるのではないかといったような不安を私は聞いております。
したがって、現段階におきましては、結論をすぐにいわゆる独立行政法人化に求めるのではなくて、もう少し広範な議論を展開し、学校法人以外の特殊法人も含めたいろいろな案を検討して、やはり慎重に対処すべきだというのが私の現段階における意見でございます。
○山下栄一君 ありがとうございました。