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教育基本法改正問題についての私見
2003年2月26日
【T.教育活動と国家(立法府・行政府)の関与のあり方】
1.教育の目的
・ 人間を育てること
「人間は教育によってのみ人間になる」(カント)
「教育は人間を人間たらしめることをその目的とするものである」
(ルソー)
「教育の目的は何か、可憐な児童たちを幸福な生涯を送らせるこ
とができるか、という問題…」(牧口常三郎)
「人間が創造できるのが価値、人格価値を高めていくのが教育の
目的、この目的を達成するための手段を明確にするのが創価教
育学」(牧口常三郎)
・ 精神的価値、内心の自由に関わる活動分野
2.教育活動はもともと私的領域…教育の自主性
・ 子供の成長についての第一義的責任は両親にある。
…「児童の権利宣言」「児童の権利条約」
・ 日本においても、国家による制度化は、明治以降(1872年「学制
発布」)
3.教育内容への権力の関与は抑制的であれ
・ 権力の役割はサポート役(教育目的を達成するための条件整備の確立)
(1) 教育基本法第10条
1項.「教育は不当な支配に服することなく国民全体に対し、直接
に責任を負って行われるべき。」
2項.「教育行政は、この自覚のもと、教育目的を遂行するに必要
な諸条件の整備確立を目標に…」
(2) 国際人権規約(A規約)
・ 「締約国は、初等教育は義務的なものとし、無償とすることを認める」
・ 「締約国は、父母及び保護者が、学校を児童のために選択する自由
並びに自己の信念に従って児童の宗教的・道徳的教育を確保する
自由を有することを尊重することを約束する。」
(3) 最高裁(1951年判決)
「政党政治の下で、多数決原理によってされる国政上の意思決定は、
さまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、本来人間
の内面的価値に関する文化的営みとして、党派的な政治的観念や利
害によって支配されるべきでない教育に、政治的影響が深く入り込
む危険があることを考えるときは、教育内容に対する国家的介入に
ついてはできるだけ抑制的であることが要請される…」
(4) 教育提言(2000年池田大作)
「教育は次代の人間を創る遠大な事業であり、時の政治権力に左右
されない自立性が欠かせません。」
【U.教育基本法問題】
1.教育基本法成立の経緯の特殊性
戦後の混乱期、国家の再スタートに当たり、本来、法律規定になじまない「教育理念」 を教育勅語にかわるものとして明示することが、制定の主要目的であった。
欧米先進国の大半は、教育理念を明示するような基本法はもたない。 (米・独・英など)
戦後57年経過し、市民社会が成熟した今、教育基本法の使命は終わったのではないか。 教育に果たす国・地方の役割を見直した上で、国は、教育行政の本来の役割を明示するため、財政支援基本計画を中心とする教育振興基本法の制定をめざすのが妥当である。
(義務教育費国庫負担制度を見直した上で)
2.教育の理念と法律規定
(1) 田中耕太郎元文相
「ところで何が正しい教育の理念かを法が確定できるものであろうか、この点に関して私は消極的の見解を抱くものである。第一に教育の理念は純然たる文化的学問的の仕事であり、本来教育家が自らの識見によりまた自己の責任においてなすべき事柄である。国家は前に述べたように自ら文化的、学問的活動 − 行政的活動は別である − をなすことを得ない。また、種々の学説の中のいずれをとりあげいずれを捨てるかの決定をもなし得ない。国家の活動は単に一般的に文化を奨励助長するという限界内にとどまらなければならない。従って「教育の理念の決定のごとき純然たる学問的、ことに専門的教育哲学的問題は、国家の関与の外にあるものといわなければならない。(中略)さらに、かりに国家が教育の目的に関して決定をなし得るものとするも、それを法律で以て規定することは、技術的に見てほとんど不可能に近い。というのは世界観を異にする政党政派の諸要求を網羅し、それらの間の妥協点を見出し、そうしてそれらをある程度理論的に統一することは至難であるのみならず、簡明な法条の形において表現することは技術的に不可能に近いのである。」
(2) 金森担当国務大臣
・ (教育基本法の大部分が法律で定めることを適当としないとの質問に対し) 「法律で決めてしかるべき範囲と、そうでないものの範囲とは自ら分野がある。
しかしこの教育のことは国民にまかせておけばよい、各人の判断または学問に任せておけばよいという御所見に対しては、もしも世の中の秩序が非常に安定し、各人の考えの大体が帰一しているというのでありますれば、各人の判断にすべてをまかして、国家的にそれを統一する理由はない。しかし、現在の非常な過渡期において、国民の考えは一人一人に多少の差別をもっており、国がこれに対しある限度の基本方針を樹立して進むということは、理論は別としても、
実際の効果の上から、これはやむにやまれないところの必然性をそなえている。 ただ、教育の目的が何であるか、教育の方針が如何にあるべきかということは、これは学問とか、人々の見識に任せるのがよいということは私は全くさように存じております。しかしある限度の基本的なことだけを調整していくということは、これはやむを得ない。」
3.教育基本法改正の動きの歩み
(1) 吉田首相(S24年)
教育勅語に代わる道徳的指針とし「教育綱領」の作成を取り上げる
(2) 天野貞佑文相(S26年)
「国民実践要項」構想
・ 独立後の日本国民の道義の確立をめざす
(3) 清瀬一郎文相(S31年)
臨時教育制度審議会設置法案提出
「国家・公けに対する忠誠を基本法に入れるべき」
(4) 荒木文相(S38年)
中教審へ「期待される人間像」諮問
「立派な日本人をつくる観点から基本法再検討を」
(5) 憲法調査会法に基づく調査会報告書(S32〜39年)
「憲法26条だけでは不十分、教育勅語に代わる基準を」
(6) 臨教審設置法とその答申(S59〜62年)
・ 「基本法は改正しない、基本法の精神を深く根づかせる」
・ 拘束力のない「教育憲章」の制定の提案
(7) 教育改革国民会議報告(H12年) 私的諮問機関
「新しい時代にふさわしい教育基本法を」
*以上のように教基法の改正については、一貫して教育勅語的徳目を入れて、逞し い日本人をつくりたいという、政治的意図から出たものであり、基本法第一条「教育の目的」の改正・追加が最大のねらいであったと考える。
【V.教育基本法の準憲法的性格】
(1) 最高裁判決(S51年)
「教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、我が国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念を宣明することを目的として制定されたもの」
(2) 憲法学者
「今日の代表的な憲法学説も、教育基本法の準憲法的性格を、第一には、『教育基本法は、教育について憲法で規定してよい事項、および現に日本国憲法で規定されている教育原則に関する事項を、さらに具体化する法律たらしめようとして制定された。』という憲法に対する関係において、第二に、『教育基本法は他の教育法令に対し、まさに基本法あるいは母法として、優越的あるいは誘導的、指針的な役割を果たすべく、教育の基本・大綱・基準・方向などを定めるもの』であるという意味における教育法体系において、という二つの側面において認めている。」(佐藤功「日本国憲法と教育基本法」)
【W.公明党の骨太の基本政策を今こそ打ち出すべき】
(1) 「教育権の独立」構想の具体化に向けて
・ 教育センター(中央教育委員会)制度の創設(文科省廃止)
…人格識見ともに優れた在野の教育委員より構成
・ 「教育国連」の創設
(2) 教育の地方分権
・ 学習指導要領の法的拘束力見直し
・ 地方方教育委員会の活性化
(3) 日本の教育行政のねじれ現象
中央政府においては内閣の中の文部科学省が担当、地方政府においては知事・市長部局と距離をおいた教育委員会が担当している。このねじれ解消の議論を行うべき。
(4) 就学義務規定(学校教育法)の見直し
義務教育における就学義務の必要性はない。先進国の中で日本は例外。
*教育基本法制定時の議論の中で「教育権の独立」について当時の政府がふれている。
『第10条(教育行政)の「不当な支配」とは具体的にどういうものを指すのか。』
○ 政府委員 第10条の「不当な支配に服することなく」とは、教育が国民の公正な意思に応じて行われなければならないことは当然であるが、従来官僚とか一部の政党とか、その他不当な外部的干渉、容喙によって教育の内容がゆがめられてきた。そこでそういう単なる官僚とかあるいは一部の政党というのみでなく、一般的に不当な支配に教育は服してはならないのであり、ここでは教育権の独立、
教権の独立ということについてその精神を表したものである。
次の「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」は、さればとて、教育者が単なる独善に陥って、勝手なことをしていいというのではなく、教育者自身が国民全体に対して直接に責任を負っているという自覚のもとに、教育は実施されなければならないということを徹底するために、まず教育行政上において教育自体のあるべき姿をうたった。
(第92回帝国議会 昭和22年3月14日 衆 教基委第1回12頁)